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「異国」の病気


 15世紀からヨーロッパ人が他の大陸に進出し、医師たちも「異国」の病気に興味を持つようになる。遠方に旅をした学者たちは、特に寄生虫病についての報告も持ち帰ってきた。

 こうしてポルトガル人ドゥアルテス・ロペス(Duartes Lopes)はアフリカでメジナ虫を、またホモラ(Gomora、1552)、オヴィエド(Oviedo)らはアメリカでスナノミTunga penetransと、それによる傷を観察している。

スナノミ


 ポルトガル人医師アレッホ・デ・アブレウ(Aleixo de Abreu、1568〜1630)は、アンゴラとブラジルを旅し、1623年に「七病論」(Tratado de las siete enfermedades)を発表した。ここで彼はアメーバ赤痢と間欠熱、スナノミ(Tunga penetransによる症例について述べている。

 イギリス人医師エドワード・タイソン(Edward Tyson、1651〜1708)は、サナダムシの頭部は幅が広い方ではなく、狭くなっている方にあることを発見し、有名になった。

 インカ人がシラミを集めて袋に入れ、税金として納めていたというアメリカからの報告がヨーロッパで大きな反響を呼んだというような記述もある。


エンゲルベルト・ケンペル
 ドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer、1651〜1716)は特に、日本について革命的な本を著して有名になった。彼はそれ以前にも長く近東を旅し、最初の著書、『廻国奇観』では異国の病気について多くを記している。この中では、当時ヨーロッパ人が「小竜」Dracunculusと呼んでいたメジナ虫に関する詳細な論文がよく知られている。ケンペルはすでに、この虫は貯水槽や池の水を介して人体に入るが、きれいな泉水では感染しないことを知っていた。

江戸参府に参加したケンペル。

『日本誌』、ロンドン1727年(Engelbert Kaempfer: The History of Japan. London 1727)(九州大学附属図書館所蔵)



メジナ虫(Dracunculus medinensis)に関するケンペルの論文
『廻国奇観』、レムゴ1712年、九州大学附属図書館蔵)Engelbert Kaempfer: Amoenitatum exoticarum. Lemgo 1712.


 植民地の拡大とともに寄生虫病およびそれぞれの地域の「風土病」の研究はますます重視されるようになった。アメリカ、アジア、アフリカでの植民地の支配と管理に携わるヨーロッパ人は高い犠牲を払った。遠征や戦闘においてさえ、マラリア、黄熱病などで病死する人が圧倒的に多かった。


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