Kyushu University Medical Library: Collection of Old Medical Books Pictures and Comments |
ベンジャミン・ホブソン Benjamin Hobson(1816−1873)
合信著『全體新論』二書堂、安政4年(1857)、60,33,34丁 ; 26cm
医学分館貴重図書コレクション:
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日欧文化交流における中国の役割を見過ごしてはならない。幕末には中国語による西洋医書が日本の洋医学界に歓迎され、その訓点翻刻本が普及した。その代表的なものとして宣教医として中国へ派遣されたベンジャミン・ホブソンが著した一連の医書類がある。ホブソン(中国名は合信または霍浦孫)は1847年広東西郊に恵愛医館を開き、医療伝道活動を行いながら『全體新論』を著している(1851)。
ホブソン (Benjamin Hobson, 1816 - 1873, 中国名は合信または霍浦孫)英国のウェルフォードに生まれる。ロンドン大学で医学を学んだのちロンドン伝道会に入り宣教医師となる。1839年マカオに派遣され、病院の管理を任される。1843年香港に移り、1845年にいったん帰国するが、1847年に香港に戻り、広東西郊に恵愛医館を開設し、医療伝道活動に携わりながら著書を執筆。1857年から上海で仁済医館に勤務。1859年に健康上の理由から帰国を余儀なくされ、1873年ロンドン郊外で死去。中国滞在中に多くの著書を刊行したが、なかでも特に人体の構造を解剖学的に記述した『全体新論』(1851)をはじめ、『西医略論』(1857)、『婦嬰新説』(1858)、『内科新説』(1858)などの著書は、幕末から明治初期にかけて日本でも訓点翻刻版が普及し、日本の医学の発展に少なからぬ影響を与えた。
130 x 190mm
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130 x 190mm
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『全體新論』安政4年(1857)
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ギリシャ風の「筋肉男」
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歯の比較
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