Kyushu University Medical Library: Collection of Old Medical Books
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アンドレアス・ヴェザリウス
Andreas Vesalius (1514-64)


  • Andreas Vesalius: De Humani Corporis Fabrica Libri Septem. [...] Basileae, per Ioannem Oporinum, 1555.
  • Andrea Vesalius: De Humani Corporis Fabrica Libri Septem. Venetiis, Franciscum Franciscium & Ioannem Criegher Germanum, 1568. 医学分館貴重図書コレクション: WZ 240/A/556/1568


  • ヴェザリウス『人間の身体の構造』バーゼル、1555年版。Andreas Vesal[ius]: De Humani Corporis Fabrica Libri Septem. [...] Basileae, per Ioannem Oporinum, 1555. 145 x 190mm.


    アンドレアス・ヴェザリウスは、神聖ローマ皇帝カール5世の宮廷付き薬剤師の息子として生まれた。ドイツの町ヴェーゼルからベルギーに移住した医師一族ヴィティング家の出身で、幼少の頃より動物の解剖に大いに興味を示していた。大学医学部での勉強は、ベルギーのルーヴァン大学を皮切りに、1533年から1536年まではパリ大学でヨハネス・クヴィンテルス(Johannes Quinterus)とヤコブス・シルビウス(Jacobus Sylvius)に師事し、その後イタリアのパドヴァ大学に学んだ。学生時代には、墓地や刑場で拾い集めた骨の研究に取り組んだ。また動物の解剖も行ない、豊かな経験を積み、やがて公の場での動物の解剖を許されるまでになった。1537年、医学博士号を授与され、それからまもなくパドヴァ大学の外科学及び解剖学の教授に任命された。当時の慣習では、解剖の際に教授自身は執刀せず、助手にさせるのが一般的であったが、ヴェザリウスはみずからの手で遺体の解剖を行なった。1538年、研究の最初の成果である『解剖図(Tabulae anatomicae)』が出版された。ここにはヴェザリウス自身による挿し絵とともにカルカー出身の画家ヨハン・シュテファン(Johann Stephan)の挿し絵が収録されている。当時のヨーロッパの大学における解剖学では、いまだにガレノスが侵しがたい権威であったが、ヴェザリウスは、ガレノスが動物を解剖したことはあっても、人間を解剖したことは一度もなかったことに気づいた。1540年、彼は『人体の構造(De Humani Corporis Fabrica)』の執筆に取りかかった。1542年には印刷を監督するためバーゼルに移り住み、著書の仕事を完了した1543年末にバドヴァに戻った。『人体の構造』は当時の人体解剖学における最も正確な挿し絵と、最も包括的な解説とを誇る「革命的」な書であった。1544年、ヴェザリウスは皇帝カール5世の侍医に任命され、1556年に皇帝が退位するまですべての旅行に随行した。その後、カール5世の息子でスペイン王フェリペ2世の侍医としてマドリッドの宮廷に勤めた。それから数年後の1564年、聖地パレスティナへの巡礼の旅に出たが、海難に遭い死去した。


    ヴェザリウスは人体の構造を、権威に頼らず独自に調査・研究する道を開いた。彼はガレノスの数多くの間違いに気づき、ガレノスの理論を根本から覆したが、そのことにより激しい反発を招いた。多くの権威ある学者たちが彼を批判し、彼の師であったヤコブス・シルヴィウスはヴェザリウスを「頭のいかれた男(lat. vesanus)」と呼び、「ガレノスの理論を越える進歩はありえない。ガレノスが間違っていたのではなく、人体の方が変化したのである。」と言い放った。


    バルトロメオ・エウスタキオ(Bartholomaeus Eustachus)は、「ヴェザリウスの主張する真実を受け入れるよりも、ガレノスともに間違っていた方がましだ」とさえ述べた。ヴェザリウスは様々な攻撃にあい、打ちひしがれ、自分の手稿の大部分を火に投じてしまったが、彼の論文や挿し絵は、彼と敵対する学者たちにも頻繁に用いられたのである。
    特に重要な著書・論文は以下のものである。

    • "Paraphrasis in nonum librum Rhazae ad Almansorem" (Basel, 1537);
    • "Tabulae anatomicae" (Venetia, 1538);
    • "Epistola docens venam axillarem dextri cubiti in dolore laterali secandam" (Basel, 1543, 1555);
    • "De humani corporis fabrica libri septem" (Basel, 1543, 1555),
    • "Epistola rationem modumque propinandi radicis Chynae decocti, quo nuper
    • invictissimus Carolus V imperator usus est, pertractans" (Basel, 1546);
    • "De Humani Corporis Fabrica Libri Septem" (Venetia,1568).

    アンドレアス・ヴェザリウス(Andreas Vesal[ius],1514ー1564)やその後の解剖学における先駆者たちにより、伝統的な人体像が覆り、死体解剖による直接の観察が行われるようになった。身体の構造は大宇宙の構造とは今や何の関係もないものとなった。すでにヴェザリウスはガレノスの誤りを200ヶ所訂正し、新たな方法の優越性を証明した。細かな内容と豪華な図は前代未聞のもので、18世紀まで世界各地に大きな影響を及ぼした。

    ヴェザリウスの解剖書の口絵。新しい解剖学を讃える16、17世紀の医書には死体を解剖する医師の絵がよく見られる。
    vesal: 1555_frontisp. 2nd. Basel edition ヴェザリウス『人間の身体の構造』バーゼル、1555年版。


    ヴェザリウス『人間の身体の構造』バーゼル、1555年版
    Vesalius, 1555, p. 772 Vesalius
    飾り文字:「I」(ヴェザリウス『人間の身体の構造』) 飾り文字:「Q」(ヴェザリウス『人間の身体の構造』)

    
    
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