ヴォルフガング・ミヒェル
Ein 'Ostindianisches Sendschreiben'. Andreas Cleyers Brief an Sebastian Scheffer vom 20. Dezember 1683 |
[東インドからの書簡 − 1683年12月20日付のアンドレアス・クライエルよりセバスティアン・シェフェル宛の手紙]。『独仏文学研究』第41号, 15 - 98頁、1991年8月。
1680年代2回も出島商館長として来日したドイツ人医師兼上位商人アンドレアス・クライエルがオランダ、ドイツなどの学者へ送った手紙、標本などの資料は当時の知識人に極めて大きな影響を及ぼし、その痕跡はあらゆる出版物にも見られる。残念ながらこれらの書簡の原文はほとんど行方不明となっている。ここで紹介できたものは、1683年出島での1回目の任務を終えたクライエルが船上で書いたもので、生々しい日本関係の記述が多く見られる。17世紀後半の東西文化交流史の諸問題においてこのコペンハーゲン王立図書館にある書簡は貴重な手がかりを提供してくれる。
- クライエルよりドイツの学者に宛てた書簡とドイツの自然研究者協会「レオポルディナ」との関係、
- シェフェル宛の書簡の主要なテーマとそれぞれの背景の詳細な分析(47頁)、
- 書簡の受容について、
- 書簡の全文の紹介