Wolfgang Michel: Hans Juriaen Hancko - ein Breslauer in Japan (Hans Juriaen Hancko - A Citizen of Breslau in Japan). Dokufutsu Bungaku Kenkyû, No. 46 (Fukoka, 1996), pp. 59 - 88.
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Wolfgang MICHEL

Hans Juriaen Hancke - Ein Breslauer in Japan


 オランダ国立文書館での綿密な調査研究により、従来一般に認められてきた17世紀の出島商館医のリストは、いまだ不完全なものであることが判明した。新たに見つかった人物の一人に、1655年から1657年まで日本で波瀾万丈の2年間を送ったドイツ人外科医ハンス・ユリアーン・ハンコがいる。本論文ではさまざまな未公開の資料をもとに、ハンコの活動の全貌を明らかにし、彼を取り巻く主要人物の実像に迫る。各章のテーマは以下の通りである。
  • 日本におけるヨーロッパ人外科医の地位や状況
  • ハンコの経歴と東アジアへの渡航
  • 1656年(明暦元年)の江戸参府旅行
  • 「似日本人、南蛮人味方、勿油断 吉利支丹奉行井上筑後守」
  • 江戸での治療活動
  • 長崎への帰途
  • 長崎の儒医学者向井元升への「授業」
  • 出島勤務の延長
  • 長崎の「弟子」波多野玄洞
  • 長崎奉行の猿、犬と、西洋人外科医の誇り
  • 薬草狩と、1657年(明暦2年)の江戸参府のための準備
  • 日本初の義眼とその他の珍品
  • 明暦の大火の地獄図
  • 出島での最後の数ヶ月
  • 離日

 

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