Wolfgang Michel: Kasuparu Shamberugeru to Kasuparu-ryûgeka (II) [On Caspar Schamberger and Caspar-Style Surgery (II)]. Nihon Ishigaku Zasshi -- Journal of the Japanese Society of Medical History, Vol.42, No. 4 (1996), pp. 21-45.
ヴォルフガング・ミヒェル「カスパル・シャムベルゲルとカスパル流外科(II)」『日本医史学雑誌』第42巻第4号(1996年)、21〜45頁。
Due to html-problems some features were altered. For the original print version, please go to Kyushu University Repository:
On Caspar Schamberger and Caspar-Style Surgery (I)
On Caspar Schamberger and Caspar-Style Surgery (II)

 

ヴォルフガング・ミヒェル

カスパル・シャムベルゲルとカスパル流外科(II)


 カスパル流の「十七方」

 「阿蘭陀外科医方秘伝」などでは膏薬と軟膏の処方に多くのページが割かれており、その製造と使用が外科医の重要な仕事の一つであった。すでに関場 不2彦はこの「十七方」が「阿蘭陀外療集」のものと一致し、おそらく直接シャムベルゲルに遡るであろうと指摘しているが、その内容や出典については触れて いない。[75]

 調合法については余り書かれていない外科書よりも、当時の薬局方を参照した方がその出典を知る上で確実である。私はここでドイツ・アウグスブルク 薬局方の1613年と1629年版(A)、ドイツ・ケルン薬局方の1565年版(B)、ロンドン薬局方の1618年版(C)、アムステルダム薬局方の 1636年版(D)と1639年版(E)を用いた。[76] 特にアムステルダム薬局方とは一致点が多い。[77](図10)

図10

  
  
A B C D E 処方の由来 
1 Emplastrum Defensivum
 
 
 
 
< Vigo ?
2 Emplastrum Diachylon simplex
=
=
=
< Mesuë
3 Emplastrum Mucilaginibus
 
=
=
< Nicolaus Praepositus
4 Emplastrum Diapalmae
=
=
 
=
=
< Mesuë < Galen
5 Emplastrum Diapompholigos
 
 
< Nicolaus Alexandrinus
6 Emplastrum Gratia Dei
 
=
=
< Nicolaus Praepositus ?
7 Emplastrum de Minio
 
=
=
< Vigo
8 Emplastrum de Meliloto
=
=
=
=
=
< Mesuë
9 Emplastrum Oxycroceum
=
< Nicolaus Alexandrinus
10 Emplastrum Griseum
=
 
=
 
11 Unguentum Album Camphoratum
 
 
< Rhazes
12 Unguentum  Apostolorum
 
< Avicenna
13 Unguentum  Basilicum
=
 
 
=
< Mesuë
14 Unguentum  Stipticum
 
 
 
 
15 Unguentum  Aureum
=
 
=
=
=
< Mesuë
16 Unguentum  Nervinum
 
=
=
 
17 Unguentum  Aegyptiacum
=
=
=
=
< Mesuë

 

 シャムベルゲルの軟膏薬はオランダ式の調合法によっていたと思われがちであるが、アムステルダムの薬局方はより伝統の古いドイツのアウグスブルクとケルンおよびイギリスのロンドンの薬局方に遡るものである。[78] また、処方の一部はさらに中世のイスラム系学者によるもので、カスパル流のこの「十七方」についてはオランダ流やドイツ流のものだと断定することはできない。

 西洋の薬局方はこのような調合薬の場合、Recipe (Rp, Rx)、つまり「取れ」という指示で始めることになっており、その後に続いて成分がいわゆる生格で、分量が対格で示されている。一連の、略語を含む調製法(Subscriptio)からはその具体的な製造法について知ることはほとんどできない。ここでアムステルダム薬局方1636年版と「阿蘭陀外科医方秘伝」を比べてみることにする。[79] 

 

Emplastrvm Gratia Dei 熱 ヱンフラストガラサデイヤ
[1] Rx. Cerae novae, [1] 一 セイラ 四十目
[2] Resinae, [2] 一 コルホウニヤ 四十目
[3] Sevi hircini, ana Vncias quatuor. [3] 一 セイベヱルジネ 四十目
[4] Terebinthinae Vncias duas. [4] 一 テレメンテイナ 二十目
[5] Aeruginis, [7] 一 メイラ 三匁
[6] Mastiches, [6] 一 マステキス 三匁
[7] Olibani, ana Drachmas tres. [5] 一 ヘルテ 三匁
F[iat] l[ege]a[rtis] Emplastrum 右煉合ル時ホルトカルノ油少入ル

 

 シャムベルゲルはRecipe(Rp、Rx)を省き、いくらかぼんやりと書き換えがわかる程度に名称を時には主格で、時には生格で書いている。また、ポルトガル語やオランダ語も混じっている。分量は1リブラを一斤、1オンスを10目、また1ドラハメを1匁として示している。猪股はヨーロッパの換算法(1 libra = 12 unciae = 96 drachmae) を知らなかったようだ。後の処方、たとえば1656年のハンス・ハンコの場合には1リブラが正確に96匁に換算されている。このように換算の間違いはカス パル処方の特徴となっている。「阿蘭陀外科医方秘伝」などの「十七方」の処方のほとんどは、成分の並べ方に至るまでアムステルダム薬局方の処方と一致して いる。調製法(Subscriptio)の形式として最後にたいてい「上記を混ぜて用いること」と記されている。

 「十七方」とヨーロッパのそれの原型を比較してみると、多少の間違いが見受けられる。すでに1650年の報告書作成の際に猪股伝兵衛による誤解が生じており、カスパル文書のすべてにおいてUnguentum de Althaeaの処方がヨーロッパの原型とは異なっている。シャムベルゲルは元来Unguentum Nervinumを紹介していたのだが、その膏薬の名前が落とされ、たまたま最初の成分であったUnguentum de Althaeaが元の膏薬名の代わり入られてしまったのである。さらにEmplastrum Diapompholigosは本来軟薬であり、膏薬ではない。 Emplastrum Melilotiでは、Radix CyperiとRadix Iridisという2成分が「シピリイリデス」として一つにまとめられている。

 シャムベルゲルの後任者達も様々な膏薬や軟膏を用いていたので、上記の名称は多くの写本に現われる。代表的な「カスパル文書」における「十七方」の順序を比較してみると、その伝達の状況が分かる。[80](図11)

 

図11

文書/「十七方」の順序

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

「阿蘭陀外科医方秘伝」 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17
「阿蘭陀外療集」巻6 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17
「カスパル口伝薬方」 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17
「紅毛外科書」(京大) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17
「阿蘭陀膏薬」 14 12 17 13 16 15 * * 10 11 * 2 1 8 9 7 6
「カスパル流伝授本」 14 12 17 13 16 15 3 4 10 11 4 2 1 8 9 7 6
「外科要訣」巻3 5 2 1 10 13 12 11 4 * 9 23 21 20   26 25 27
『阿蘭陀外科指南』 1 2 11 12 13 14   15 16 17 * 19 23 26 21 24 25
「阿蘭陀流外科書」 1 2 5 4 8 9 10 3 7 6     15 25 24 23 27
「阿蘭陀外科伝」 3 6 12 2 8 7   15 5 4     1 13 14 11 10
「阿蘭陀カスパル秘方」 4 7 5 2 3   11 9 6 8 10 15 14 17 12 16 13
「阿蘭陀秘伝膏薬書」 5 8 6 2 3 1 11 4 7 9 10 16 14 17 12 15 13
「阿蘭陀外科書」(九大) 1 3 8 2 4 10 9 5 6 7 17 18     20   21
「阿蘭陀外科書」(杏雨) * * 12 2 6   13 8 10 11   23 28 25 26 18 27
「阿蘭陀外科書」(慶大) 1 2 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 22   20 23 24
「阿蘭陀カスパル伝抜書」 6 2 7 8 9 10 12 11 13 14 2 3 1 28 26    
「紅毛膏液」 5 1 2 4 3 15 13 16 6 17 14 11 10 12 8 7 9

 

 元来の「十七方」はまとまった形で伝承されていることが多いが、宗田一氏がすでに示したように、「カスパルの7十二膏薬」のような膨張した混ぜ物の例もある。[81] 紀州の華岡塾で写された「オランダ外科秘伝書」には「阿蘭陀カスハル」の名のもとに「七十五方」が列挙されている。[82] また、内容の上でほとんど関係がない写本の存在していることも、後世におけるカスパルの名の浸透性とその魅力を物語っている。[83]

 

 輸入医薬品についての記述

 すでに述べたように、シャムベルゲルが1649年の江戸参府に同行したフリシウスの使節団は、献上品として薬箱も持参していた。その中身はロベイン号の送り状に示されている。[84] そこにはまた、一方は献上品として将軍に、もう一方は老中のために井上筑後守が注文したと記されている。

 「阿蘭陀外科医方秘伝」にはまた、この薬品の大部分を網羅するリストも見られる。

 

「井上筑後守殿御用被召上薬物之事    
一ミイラ ネダン目ガヘ (Mumia)
一 ヘイシムレイル アバラ骨一ツ 代四十三匁 (peixe mulher)
一 ヒリリ    一筒 代五匁 (biriri)
一 琥珀     一袋 一斤ニ付百廿目 (Succinum)
一 バルサモ   フラスコ一ツ ネダン目ガヘ (Balsamum)
一 ヲヲリヨテレメンテイナ 代一匁ニ五匁ニ下宛 (Oleum Terebinthinae)
一 コンヘキシヨアルカルモス ヲランダカイモト百目
上ケ申ネダン五十目
(Confectio Alkermes)
一 コンヘキシヨシヤジント ヲランタカイ八十目
上ケ申ネタン四十三匁
(Confectio Hyacinthi)
一 テリヤグン ヲランタカイ三十目
上ケ申ネダン十五匁
(Theriacum)
一 メテリダアテ ヲランタカイモト廿五匁
上ケ申値段十五匁
(Mithridatum)
一 キリシタルンタルタリ ヲランタカイ四匁
上ケ申ネタン同
(Cristallum Tartari)
一 アグハビイテマテリヨウリ ヲランタカイ三十五匁
上ケ申ネタン二十五匁
(Aqua vitae Matthioli)
一 ヲビタンテサレトン ヲランタカイ十匁
上ケ申ネタン七匁
 (?)
一 バルサモヘラヒヤヌン ヲランタカイ三十五匁
上ケ申ネタン十七匁
(Balsamum Peruvianum)
一 テヘンシイブンヒキヨウナス 一鉢 ヲランタカイ十匁
上ケ申ネタン七匁」[85]
(Defensivum Vigonis)

 

 出島商館長によれば、シャムベルゲルは大目付井上の屋敷でオランダの薬品についてその性質と使用法について尋ねられた。「阿蘭陀薬 遣様 井上筑 後守殿 上写」というテキストの内容は、かなりの確率でこのときの説明に遡るものと思われる。これは上述の薬品と、さらに数種の薬品について手短に述べて いる。この内容は「阿蘭陀外療集」(第7巻)にも見られる。享和元年(1801年)、紀州の華岡塾において写された「阿蘭陀加須波留伝膏藥方」には、興味 深いことに「阿蘭陀薬種能毒カスバル伝渡薬」という表題の下に、ほぼ同様なテキストが見られる。また、「阿蘭陀薬品主治部」が示すように、この薬品のリス トは桂川甫筑の手にも渡っていた。[86] ここでは、例として「ヘイシムレル」(人魚)についての記述を挙げる。(図12)

 

図12

 「阿蘭陀外科医方秘伝」

 「阿蘭陀外療集」巻7

 「阿蘭陀加須波留伝膏藥方」

 「阿蘭陀薬品主治部」

「ヘイシムレル

痔有人不断身ニ添持テヨシ。粉ニシテ少シ宛酒ニ入用五体ニ有砂ヲ下シテヨシ。血止ニ第一良。下血ニモ用ヤウ同前。」

「ヘイシムレイル

痔有人毎ニ身ニツヘ持テ良。粉而少宛酒ニ入用ハ五躰ニ有砂ヲ下ス。湯ニテモ用テ良。第一血止ルニ良。下血ニハ湯ニテ用テ良。」

「ペイシムレイル 

痔有人毎ニ身ニ添持テ吉。粉ニシテ少宛酒ニ入用五体有砂ヲ下シテ良。湯ニテモ用。第一血留ニ吉。下血ニハ湯ニテ用良。」

「ヘイシムレル 

主治痔病ニ良粉ニメ少シツヽ酒ニテモ湯ニテモ用レハ五体ニ有砂ヲ下シテ吉血留ニ亦吉也下血ニモ可也」

 

 これは明らかに猪股伝兵衛がまとめた報告書の一部である。この渡来薬についての記述は後になるとあまり重要視されなくなったようである。特使フリ シウスが1649年に持参した薬箱の内容と、この3つの文献に記されている薬品とが大体において一致していることも考えあわせると、この文書の信頼性には 疑う余地がないと結論づけられよう。名称の一部はポルトガル語であり、大部分はラテン語の形を示している。これらの薬品は確かにヨーロッパの薬局で売られ ていたが、産地は世界の各地域にあったので、厳密な意味での「オランダ薬」ではなかったことも忘れてはならない。内容、使用などについては宗田一氏が「渡 来薬の文化誌」で詳細に紹介している。[87] (図13)

 

図13[88]

  

原文の名称 

語源[89] 
ラテン語名
 (A)
 (B)
 (C)
 (D)
1 ミイラ  ? Mumia[90]
2 ヘイシムレル peixe mulher(ポ) なし[91]
3 スクシイネ Succini Succinum
4 バルサモ balsamo(ポ) Balsamum
5 ヲヽリヨテレメンテイナ óleo termentina(ポ) Oleum Therebintinae
 
 
6 コンヘキシイヨアルカルモス Confectio Alkermes Confectio Alkermes
7 テリヤクン Teriacum Teriaca
8 メテリダアテ Mithridaat(オ) Mithridatium
9 キリシタルンタルタリ Crystallum Tartari Crystallum Tartari
10 ヲビタンデサレトン (腹痛、血下に)

(?)

11 マテヨカナノ木 Mechoacanna Mechoacanna [alba]
12 コンタラエルバ contrayerva(ポ) Radix Contrayerva
13 ラジスヘヨニヤ Radix Paeoniae Radix Paeoniae
14 ハルサモヘラヒヤヌン Balsamo Peruvianum (ポ) Balsamus Peruvianus
15 テレメンテイナベネジヤ Terebenthina Veneta Terebenthina Veneta
16 メテリチイクンノ木 Nephriticum [Lignum] Nephriticum
 
17 サルサヘレイラノ木 Salsaparilla [Lignum] Salsaparilla
18 アヒン aphim / afim[92] Opium
19 ビリリ biriri[93] (ポ)  
20 コンヘキシヨジヤシントウルン Confectio Hyacinthorum Confectio Hyacinthorum[94]
21 レシイネガラハ Resina Jalappae Resina Jalappae
 
22 ペイダラバザル pedra bezoar(ポ) Petra Bezoar
23 コキニヨ coquinho(ポ) Oleum Palmae
24 ハウテコブラ pau de cobra(ポ)  
 
25 イヒ之玉 (毒消)

(?)

 
26 ウンカウルノ unicórnio(ポ) Unicornu
27 カルモスアルマテカ Calmus aromaticus Calmus aromaticus
 
28 ヒヨウニ (小児驚風に)  
 
29 リキヌンサルサフラス Lignum Sassafras Lignum Sassafras
 
 
30 エキスタラキルイバアルホ extracto ruibarbo(ポ) Extractum Rhabarbari
 
31 ラチイリヤス raicillas ? (ポ) radices ?
 
 
32 コロウクスヲエンタリス Crocus orientalis Crocus orientalis
 
33 イストウラスカルミイテ Styrax calamita[95] Styrax calamita
 
34 ソンキニロウデ (油薬)  (?)
 
 
35 ホルレスタラチイホ (血止薬) Flores (?)
 
 
36 コンセルハブキニス Conserva Bucinis Conserva Bucinis
 
 
37 テレヤカ teriaga(ポ) Theriaca
 

 

 薬草及び薬油についての記述

 「阿蘭陀外科医方秘伝」は油についていくらか述べてはいるが、体系的なものではない。そのため、筆者は長い間「カスパル文書」に所々見られる薬草 及び薬油の記述には注意を払っていなかった。しかし、その第一部が「油之大事」に当てられている「阿蘭陀加須波留秘方」の冒頭に「上意依而為書之御取次井 上筑後守殿」という出典に関する興味深い説明が付せられており、またシャムベルゲル流の体液病理学や膏薬、軟膏のことも出てくるので、この写本の信憑性は 決して低くはないようである。[96] また、「カスパル伝薬方」の「阿蘭陀油取様並功能 メステルカスハル伝」、「紅毛膏液」の「カスパル油集」及び「阿蘭陀加須波留伝膏藥方」の「諸薬艸功能 油配剤藥酒」[97] という記述も注目をひく。それぞれの薬油についての説明は以下の例が示すように比較的簡単なものである。

「オフロヨカモメリ野菊ノ油ナリ性微温主治疵ノ痛ヲ止筋骨ノ痛ヲ止」[98]

 上記の写本には次の薬油についての同様な記述が見られる。(図14)

 

図14

原文の名称、当時の漢字訳  ラテン語名(語源) 
ヲヽリヨアルテイヤ(小葵ノ花ノ油)   Oleum Althaeae
ヲヽリヨシンクテイヤ(女郎花ノ油)   Oleum ?
ヲヽリヨフレイル(ニワトコノ花油)   Oleum ?
ヲヽリヨアニイシ(大茴香)   Oleum Anisi
ヲヽリヨアネイテ(伊乃牟奴ノ油)   Oleum Anethi
ヲヽリヨテレメンテイナ terementina (ポ) Oleum Terebinthinae
ヲヽリヨヲアロン(鶏卵ノ油)   Oleum Ovarum
ヲヽリヨセンシイフラ(生姜ノ油)   Oleum Zingiberis
ヲヽリヨキヨヨメス(瓜実ノ油)   Oleum Curcumis
ヲヽリヨコルテシビシイテレ(佛手ノ皮ノ油)   Oleum Corteci  ?
ヲヽリヨイリヤス(白茨ノ油)   Oleum Ireos
ヲヽリヨリイ(麻仁油)   Oleum Lini
ヲヽリヨロサアト(イバラノ花)   Oleum Rosato, Rosaceum
ヲヽリヨカモメル(野菊ノ油)   Oleum Chamomillae
ヲヽリヨイヘリコン(ヲトキリ草ノ油)   Oleum Hyperici
ヲヽリヨソクシイネ(琥珀ノ油)   Oleum Succini
ヲヽリヨヒヨウウラス(駒引草ノ油) violas (ポ) Oleum Violae
ヲヽリヨリイネシリヨウルン(白ユリノ花ノ油)   Oleum Liliorum [alborum]
ヲヽリヨラハツロン(菜種ノ花ノ油)   Oleum Sinapi
ヲヽリヨタアト(土ノ油)   Oleum Terrae
ヲヽリヨミニヨウカス(蚯蚓ノ油) óleo de minhocas (ポ) Oleum Lumbricorum
ヲヽリヨラホウゾ(狐ノ油) vos (オ) Oleum Vulpinum
ヲヽリヨタアヲヌ(狸ノ油) das (オ) Adeps Taxi
ヲヽリヨハアト(鹿ノ油) hart (オ) Adeps Cervi
ヲヽヲフリヨアンテン(アヒルノ油) eend (オ) Adeps Anatis
ヲヽリヨカフン(野牛ノ油) kalf (オ) Oleum Tauri ?
ヲヽリヨカ(ヤシホ)アン(豹ノ油) cano  (ポ) Adeps Canis
ヲヽリヨヒテリヨウル(膽礬ノ油) vitriool (オ) Oleum Vitrioli
ヲヽリヨソルフラ(硫黄ノ油) sulfura  (ポ) Oleum Sulphuris
ヲヽリヨセイラ(蝋ノ油)   Oleum Cerae
ヲヽリヨスカンフル(龍腦ノ油) kamfer (オ) Oleum Camphorae
ヲヽリヨカンフラ(樟腦ノ油)   Oleum Camphorae
ヲヽリヨナアカラ(丁子ノ油) nagel (オ) Oleum Cariophyllorum
ヲヽリヨシュニヘル(ソナレ松ノ実ノ油)   Oleum Juniperi
ヲヽリヨコラレイフリ (珊瑚珠ノ油)   Oleum Coralli rubri
ヲヽリヨメリロフト(餅蓬花油)   Oleum Meliloto
ヲヽリヨフレイサンフイン(山燈心草ノ実ノ油)   Oleum Sambuci
ヲヽリヨロウリイ子(ツヽノ実ノ油)   Oleum Laurinum
ヲヽリヨカ(ヤシホ)ルハヌン(杉脂ノ油)   Oleum Galbanum
ヲヽリヨメルラロウルン(栢ノ実ノ油)   Oleum Myrtillorum
ヲヽリヨヲリハアヌン(乳香ノ油)   Oleum Olibanum
ヲヽリヨムスカ子ト(肉荳蒄ノ油) muscado (ポ) Oleum Nucis Moschatae
ヲヲリヨメンテ(薄荷ノ油)   Oleum Menthae
ヲヽリヨランシシヤアロム(蜜村ノ皮ノ油) oranje-schillen (オ) Oleum Cortices Aurantiorum
ヲヽリヨテイシュンヘイン(蜈蚣ノ油) duizendbeen (オ) Oleum Centipedi
ヲヽリヨロラト(金ノ油) orado (オ) Oleum Auri
ヲヽリヨカ(ヤシホ)子イラ(肉桂ノ油) canela (オ) Oleum Cinnamomi
ヲヽリヨカ(ヤシホ)ンキリ(蟹ノ油)   Oleum Cancri

 

 それが1650年に猪股伝兵衛がまとめた報告の一部であったかどうか、まだ決定的な証拠が見つかっていないが、シャムベルゲルが油について述べて いたことは、「阿蘭陀外科医方秘伝」などの新しい材料を数多く必要とする処方からもうかがえる。その性質、特徴を定め、可能な限り国内で同じもの或いはそ れと似たものを見つけ、製造することが、紅毛人の外科の受容における一つの大きな課題になっていたとことは想像に難くない。シャムベルゲルが日本から離れ た直後、井上筑後守が蒸留装置を注文したことも偶然ではなかったであろう。[99]

 薬油の取様および効能の記述が含まれている写本は少なくない。河口良庵の「外科要決全書」及び「阿蘭陀外療集」の薬油についての説明は残念なが ら、上記のものとは異なっている。他の文書と比べてみてもはっきりとした全体像はまだ浮かんでこない。シャムベルゲルの滞日後約20年して、2人の薬剤師 ゴデフリード・ヘック(Godefried Haeck)とフランス・ブラウン(Frans Braun)が出島において油の蒸留について体系的な授業を行い、[100] それに関する知識の水準が飛躍的に向上したため、シャムベルゲルの初歩的な説明は写されなくなったとようである。

 

 (5)「南蛮流外科書」及び『阿蘭陀外科指南』の位置について

 南蛮流外科の特徴を論じた富士川游は帰化人沢野忠庵の著書とされた「南蛮流外科書」から上記の体液病理学の概略を紹介し、『阿蘭陀外科指南』に 載っている「外科総論」もこれと同文であると書いているが、この「南蛮流外科秘伝書」の所在は謎に包まれている。現在、「忠庵文書」として残っているのは 京都大学富士川文庫蔵写本の「南蛮流外科書」のみであるが、『日本医史学』に載っているような記述はここでは見られないので、富士川がこの文書とその他の ものとを見間違えてしまったのではないかと思われる。以前に、南蛮流文書にも阿蘭陀流文書にも同一の記述がなされているという富士川説に触発されて、その 真偽を追究した海老沢有道も「南蛮流外科書」しか見つからなかったのである。この「南蛮流外科書」は、『阿蘭陀外科指南』と多くの点において異なる忠庵流 の漢方化、改編されたものであるという彼の結論には、筆者も基本的に賛成である。

 確かに、「南蛮流外科書」の巻末にある「右者南蛮忠庵秘密之金瘡之仕掛並ニ薬方可秘ゝ云ゝ」という記述は沢野忠庵がその著者でえあることを示して いる。ところが、この書に見られる腫物についての記述はカスパル流文書のそれに酷似しているし、金瘡の部にも同様の点が目に付く。また、「Cerussa」 の漢字名「唐土」は「南蛮流外科書」にはあるが、数カ所において「阿蘭陀赤土」となっていることも注目に値する。さらに、金瘡を取り扱う「南蛮流外科書」 の下巻を見ると、薬方の面においては異なるところがよくあるが、本文のかなりの部分は「スティヒン伝来]とされている「外科秘伝書」と一致している。[101] 以上の点を総合すると、この書は、後世の混合物だと改めて強調せざるを得なくなる。

 こういった曖昧な背景にも拘わらず、海老沢は元禄6年刊行の『阿蘭陀外科指南』を調べ、とりわけ第一巻の「外科総論」から一連のポルトガル語に由 来する単語を証拠として挙げることにより、この版本も沢野忠庵に遡るものであるという説を立てた。海老沢のこの説によれば、沢野のみが当時このように体系 的な文章を著す力を有しており、表題に見られる「阿蘭陀」も、実はキリシタン追放以後「南蛮」の一種の偽装であった、としている。[102]

 しかし、この説が立てられた時、17世紀半ば頃における蘭館医による「授業」の詳細はまだ余り知られていなかったのである。紅毛流文書の殆どは、 最初からかなり整理されており、江戸及び出島で教師を務めていた外科医がヨーロッパで受けた教育をよく反映している。彼らは、時間さえあれば、書物を元に 体系的な指導を行おうとしていたに違いない。また、当時の日蘭間のコミュニケーションを考えると、今日の日本語にも見られるようなポルトガル語から来てい る用語の存在だけでは、『阿蘭陀外科指南』及び「南蛮流外科書」などの医学がポルトガル流のものであったという主張の根拠として極めて不十分だと言わざる を得ない。17世紀後半になってもまだ通詞はオランダ語よりもポルトガル語の方に精通しており、オランダ商館長はもちろんそうであったし、外科医の一部も 東アジアのこの共通語が話せていたのである。

 また、ひっきりなしに東インド会社からポルトガル語の解剖学などの医書を注文していた大目付井上が沢野の所蔵した書籍及びその他の文書を把握していなかったはずがない。[103] 沢野自身が再3に亙って出島商館に伺って薬品や治療についての情報を求めていたことも考えると、彼の果たした役割及び彼に遡るとされる文書が再検討すべきであろう。

 薬学の立場から「南蛮医学から蘭方医学へ」の転換を追究した宗田一も、また「阿蘭陀外科全書」を中心にして「南蛮、紅毛流外科の境界」を検討した阿知波5郎も上記の海老沢説に異論を唱え、『阿蘭陀外科指南』には南蛮・紅毛両系が混在しているという結論を出している。[104]  本論文の様々なカスパル流文書との比較によってさらに明らかになったように、『阿蘭陀外科指南』の大半はオランダ商館から伝わってきた資料に基づいてい る。第一巻の中核はカスパル流であり、第2巻の膏薬方の多くには「カスパル伝」、「アンスヨレアン伝」、「コルネリス伝」と名付けられており、蘭館医Caspar Schamberger(滞日期間1649年〜1651年)、Hans Juriaen Hancke (滞日期間1655年〜1657年)及びCornelisz. Stevensz.(滞日期間1642年〜1645年)やCornelisz. de Laber(滞日期間1665年〜1666年?)がその処方の教師として挙げられている。[105] 第3巻の金瘡部はカスパル文書の金瘡部とほぼ一致している。第4巻の「薬草口訣」についてはまだ結論は出せないが、第5巻の「腫物之名並諸病異解」、及び「諸薬並言語単語集異解」は河口良庵が寛文10年(1661年)にまとめた「阿蘭陀語」[106] に基づいて改編された単語集であることは間違いなさそうである。勿論、南蛮流の記述が残存する可能性はあるが、『阿蘭陀外科指南』は書名が示す通り、紅毛系の資料に基づいているものであることは明らかである。

 

 (6)結び

 西洋外科学の全分野にわたってそれらが等しく日本のカスパル流外科学に受け継がれたわけではない。これまでにわかっている分野は以下の通りである。

○ 体液病理学の一部

○ 腫物診断法の基礎

○ 一連の腫物の特徴及び治療法

○ 膏薬と軟膏の十七方

○ 外傷の分類及び基本的な手当

○ 一連の薬品、薬草の性質についての短い記述

 体液病理学の記述は簡単な概略のみに限られている。抽象的な内容を伝える際、言語上及び概念上の問題が山積していたが、腫物と外傷の実際の治療自 体には、理論的背景を深く理解する必要はなかったのであろう。簡単ながらも一連の西洋の概念をよく反映した記述になっているが、当時の読者はそれらからど のようなイメージを得ていたであろうか。

 腫物の診断法に関しては、理論を抜きにしては考えられず、かなりの困難を伴ったようである。全体的にみて西洋の病理学を思わせる部分が多いが、整 然と整理されていたヨーロッパ式の分類は見当たらない。また、概念の異質性を示している片仮名表記の用語および「熱寒風痰見様」などは、東洋医学から「転 用」された訳語であって、これらには訳者の戸惑いが窺われる。

 いわゆる「カスパル十七方」が最も普及していたことから、その点に関する当時の医師達の関心の高さが窺える。その大半がアムステルダム薬局方の形 をとっているが、そもそもヨーロッパの薬局方には、はるかに多くの膏薬と軟膏が掲載されていることを考えると、どのようにしてこの17の処方が選ばれたの か不明である。

 外科学の記述は外傷の分類、治療、縫方、止血などに分かれており、そこには西洋からの影響がはっきりと現れている。腫物の場合と同様にこのような 手当について説明する中で、様々なデモンストレーションを行い、理解上の問題をいくらか緩和できたのである。ここでは折に触れて解剖学的な記述も見られる が、静脈、動脈、神経についての説明が示すように、それは体系的な学習によるものではなかった。外科術を紹介するシャムベルゲルは解剖学の重要性を再三に 亙って強調したはずである。解剖学に対する過小評価は、ヨーロッパの理髪外科教育におけるその役割の大きさと比べると、はっきりとした対照を示している。

 シャムベルゲルはいわゆる「低い外科学」、または「小外科学」(Chirurgica minor) といわれるものしか教えられなかった。しかし、この狭い分野についても、そのすべてが受け継がれたわけではない。ランセットと針以外の器具は見当たらず、 ヨーロッパが当時まだ崇拝していた焼灼の説明もなければ、膀胱結石手術や切断のことも見られない。また日本語での記述がなされていても、それが実際に用い られていたことを意味していたわけではない。例えば、金瘡部で紹介されている(大量の)瀉血法は日本では終始拒否された。このため紅毛流治療の実情を判断 する際には西洋の外科術を紹介する文書だけではなく、17世紀のオランダ東インド会社への注文書、薬品の送り状及び日本の症例を示す文書なども手掛かりと して参照すべきである。

 


脚注
[1]    ヴォルルガング・ミヒェル「日本におけるカスパル・シャムベルゲルの活動」『日本医史学雑誌』第41巻第1号、3〜28頁、1995年3月(平成7年)。
[2]    シャムベルゲルの弔辞による。Stolberg-Stolbergsche Leichenpredigtsammlung (Wolfenbüttel) 19803, Lebenslauf (履歴), p.69。
[3]    Stadtarchiv Leipzig, Tit. LXIV 29, fol. 6b - 10(ライプチヒ市文書館、外科医組合規定、1627年11月27日)。
[4]    Johann Jacob Vogel: Leipzigisches Geschichts-Buch Oder Annales [...] biss in das 1714. Jahr. p. 535 - 557, Leipzig 1714. Otto Rudert: Die Kämpfe um Leipzig im Großen Kriege 1631-1642. Schriften des Vereins für die Geschichte Leipzigs, Bd. 20/21, p. 122 - 129, Leipzig 1937.
[5]    Vogel (1714), p. 565f.。
[6]    Stolberg-Stolbergsche Leichenpredigtsammlung (Wolfenbüttel) 19803, Lebenslauf, p.70.
[7]    血液の循環の説明は極めて単純であり、ハーヴェイの研究の影響は全くみられない。Cornelisz Herls: Examen der Chyrurgie. Broer Jansz, Amsterdam 1645.
[8]    千葉大学付属図書館。
[9]    古賀十二郎『西洋医学伝来史』60頁、形成社、東京、1972年(昭和47年)。
[10]    片桐一男『阿蘭陀通詞の研究』209頁、東京、1985年(昭和60年)。
[11]    NFJ 60, DD 26.11.1646。オランダの国立中央文書館(Algemeen Rijksarchief, 's-Gravenhage = ARA)の資料についての略号。 ARA 1.04.21, Nederlandse Factorij Japan = NFJ + 番号。出島商館日誌の資料にはさらにDDを付記する(NFJ + 番号、 DD + 日付)、またはARA 1.04.02、オランダ東インド会社 = VOC + 番号。その他の資料についてはtoegangsnummerを付記する。
[12]    宗 田一「日本の売薬(17)−オランダ膏薬・カスパル十七方」『医薬ジャーナル』巻14巻巻5号、113〜119頁、1978年(昭和53年)。宗田一「カ スパルの江戸での伝習について−阿蘭陀外科医方秘伝の紹介」『日本医史学雑誌』巻26巻巻3号、97〜98頁参照。「阿蘭陀外科医方秘伝」(東京、故佐藤 文比古蔵書)。宗田一氏のご好意によりこの文書のコピーを譲って頂いた。その上さらに当を得たご教示を賜ったことに併せて謝意を表する次第である。
[13]    宗田一『日本医療文化史』127頁、思文閣出版、京都、1989年(平成元年)。
[14]    川島恂二『土井藩歴代蘭医河口家と河口信任』73〜74頁、近代文芸社、東京1989年(平成元年)。
[15]    岩治勇一「和蘭陀外科免状(題簽)ーアルマンス流阿蘭陀外科之濫觴」『日本医史学雑誌』第34巻第2号、31〜34頁、1988年(昭和63年)。
[16]    川島恂二『土井藩歴代蘭医河口家と河口信任』77〜84頁。
[17]    NFJ 69, DD 8.5.1656, NFJ, DD 27.5.1656, 12.6.1656, 16.6.1656, 10.7.1656, 30.7.1656。
[18]    NFJ 31, p.23 (Instructie 4.11.1649) 。
[19]    NFJ 484 (Brouckhorst よりBijlevelt 宛の書簡、Nagasaki 3.8.1650)。
[20]    NFJ 66, DD 29.11.1652.
[21]    NFJ 68, DD 23.7.1655, 25.7.1655, 26.7.1655。
[22]    富士川游「猪股家系」『中外医事新報』第1211号、9頁、1934年(昭和9年)。
[23]    「伝兵衛役儀指上子伝四郎向井元升門人」。
[24]    川島恂二『土井藩歴代蘭医河口家と河口信任』。河口良庵などの貴重な文書を見せて頂いた河口広一氏のご好意に心から感謝するとともに、また併せて、川島恂二氏の暖かいご指導にも心からなる謝意を表する次第である。
[25]    川島恂二『土井藩歴代蘭医河口家と河口信任』、79〜88頁。
[26]    岸本裕「本朝和蘭陀外科所謂カスパル流外科の本」『日本醫事新報』第802号、331〜332頁、1938年(昭和13年)。
[27]    岸本裕「日本醫事新報」第802号、331頁。
[28]    川島恂二『土井藩歴代蘭医河口家と河口信任』、73〜74頁。
[29]    岸本裕「日本醫事新報」第802号、331頁。
[30]    川島恂二『土井藩歴代蘭医河口家と河口信任』73〜74頁。
[31]    川島恂二『土井藩歴代蘭医河口家と河口信任』89〜91頁。
[32]    川島恂二『土井藩歴代蘭医河口家と河口信任』87頁。川島恂二「河口良庵著述「阿蘭陀外科要訣全書」から」『古河市医師会報』第26号、1〜5頁、1994年12月1日(平成6年)。
[33]    川島恂二『土井藩歴代蘭医河口家と河口信任』、88頁。
[34]    古河市川島恂二氏蔵書。川島氏にこの文書のコピーを譲って頂いた。ここに謝意を表する次第である。川島恂二「新発見 河口良庵著「阿蘭陀語」帖から」『古河市医師会報』第24号、7〜15頁、1992年12月1日(平成4年)。
[35]    「諸薬口和」伊予大洲城 良庵河口春益編輯(文化12年写)、早稲田大学図書館。
[36]    ミヒェル「日本におけるカスパル・ジャムベルゲルの活動について」7〜8頁。
[37]    NFJ 70, DD 4.3.1657参照。
[38]    NFJ 1168 (Specificatie aller ongelden mitsgaders schenckagie gedaan bij den gesant Andries Frisius en't opperhooft Anthonij van Brouckhorst gedurende hare reijse naar Jedo 't zedert 25. November 1649 tot 22. Maij ao 1650), fol. 8v.
[39]    関場不二彦『西医学東漸史話』上下、吐鳳堂書店、東京、1933年(昭和8年)。古賀十二郎『西洋医術伝来史』66〜67頁。
[40]    酒井シヅ、小川鼎三「『解体新書』出版以前の西洋医学の受容」『日本学士院紀要』35巻3号、132〜133頁、1978年(昭和53年)
[41]    「阿蘭陀外科医方秘伝」79頁。
[42]    大槻如電『洋学編年史』102〜104頁、錦正社、東京、1965年(昭和40年)。
[43]    「阿蘭陀外療集」巻6、11頁、(河口良庵著 藤山新作宛秘伝書、延享3年(1746年)、慶応大学医学メディアセンター、富士川文庫)。
[44]    「紅毛外科書」(内題「紅毛外科集」)、下巻、79頁(京都大学付属図書館)。
[45]    「紅毛外科書」下巻、60頁(京大)。
[46]    「阿蘭陀外科書」(杏雨書屋、大阪)。「阿蘭陀外科書」西玄甫、杉田甫仙、水野甫碩著(慶応大学医学メディアセンター、富士川文庫、Fーオー15)。『阿蘭陀外科指南』(元禄9年刊)。
[47]    ミヒェル「日本におけるカスパル・シャムベルゲルの活動」4〜6頁。
[48]    「カ スパル伝方」(京都大学付属図書館、富士川文庫)。「阿蘭陀加須波留秘方」(成田市、成田仏教図書館)。「阿蘭陀加須波留秘密之方」(京都市、宗田一蔵。 宗田氏にこの文書のコピーを譲って頂いた。ここに謝意を表する次第である)。「阿蘭陀外科」(京大、富士川文庫)。「阿蘭陀外科一流書」(京都市、宗田一 蔵)。「阿蘭陀外科書」(杏雨書屋)。「阿蘭陀外科書」(9州大学医学部付属図書館)。「阿蘭陀外科書」(慶応義塾大学医学メディアセンター、富士川文 庫)。「阿蘭陀外科書」(和田医学史料館。京都市の和田知代史氏にこの文書のコピーを譲って頂いた。ここに謝意を表する次第である)。「阿蘭陀外療 集」(慶大、富士川文庫)。「阿蘭陀外療秘伝」(慶大、富士川文庫)。「阿蘭陀十七方」(東京大学総合図書館)。「阿蘭陀南蛮口一切和」(慶大、富士川文 庫)。「阿蘭陀流外科」(京大、富士川文庫)。「阿蘭陀流外科書」(京大、富士川文庫)。「阿蘭陀流外科書伝」(慶大、富士川文庫)。「阿蘭陀流外 治」(慶大、富士川文庫)。「阿蘭陀流伝授本」(京都市、宗田一蔵。宗田氏にこの文書のコピーを譲って頂いた。ここに謝意を表する次第である)。「外科加 須波留方」(慶大、富士川文庫)。「外科要訣」(古河市、河口家蔵)。「紅毛膏液」(東京大学総合図書館)。「紅毛外科」(慶大、富士川文庫)。
[49]    中村宗興『紅毛秘伝外科療治集』、貞亨元年(1684年)、京都山本長兵衛刊行(慶応義塾大学医学メディアセンター)。
[50]    「阿蘭陀外科医方秘伝」3頁。
[51]    calidum innatum。
[52]    「阿蘭陀外科医方秘伝」3頁。
[53]    Ambroise Paré: Oeuvres complètes. Ed. J.-F. Malgaique. Vol.1, Chap. 3 - 9, Vol.5, Chap. 6 (p. 326), Paris 1840 - 1841。
[54]    Guy de Chauliac: Chirurgia Magna. p. 49 - 118, Stephan Michael, Lugduni, 1585. 又、Hieronymus Fabricius ab Aquapendente: Opera Chirurgica. p. 1 - 8, Ex Officina Boutesteniana, Lugduni Batavorum, 1723.
[55]    óleo rosado = Oleum Rosato, Rosaceum, óleo violas = Oleum Hyperici, óleo solanum = Oleum Solanum, óleo laurinho = Oleum Laurinum。
[56]    Emplastrum Defensivum。
[57]     óleo cravo = Oleum Cariophyllum。
[58]    Emplastrum Defensivum, Emplastrum Diachylon。
[59]     Emplastrum Mucilaginibus。
[60]    mecha, Unguento Apostolorum = Unguentum Apostolorum。
[61]    Emplastrum Diapalmae。
[62]    「阿蘭陀外科医方秘伝」4〜6頁。
[63]    「阿蘭陀外科医方秘伝」9〜24頁。
[64]    「アカブソ」はラテン語aquaかポルトガル語aguaに由来しているようだが、当時のヨーロッパの医書にはHydropsという用語しか確認できなかった。
[65]    「阿蘭陀外科医方秘伝」11〜12頁。
[66]    「阿蘭陀外科医方秘伝」11頁。
[67]    「阿蘭陀外科医方秘伝」26頁。
[68]    「阿蘭陀外科医方秘伝」28頁。
[69]    「阿蘭陀外科医方秘伝」28〜29頁。
[70]    「阿蘭陀外科医方秘伝」29頁。
[71]    『紅毛秘伝外科療治集』第2巻、『阿蘭陀外科指南』第3巻。
[72]    「阿蘭陀外科医方秘伝」25頁。
[73]    酒井シヅ「江戸時代の西洋医学の受容 ー 解剖学を中心にみて」吉田忠他『東アジアの科学』勁草書房、5〜49頁、東京、1982年(昭和57年)参照。
[74]    NFJ 282 (商務員Bijleveltより商館長Brouckhorst宛の書簡、Edo 7.6.1650。
[75]    関場不二彦『西医学東漸史話』上巻、161頁。
[76]    Pharmacopoeia August.1613, 1629 (A), Dispensarium Vsvale pro Pharmacopoeis inclytae Reipvp. Coloniensis. Coloniae1565 (B), Pharmacopoea Londinensis. Londini 1618 (C), Pharmacopoea Amstelredamensis 1636 (D), Pharmacopoea Amstelredamensis 1639 (E). D.A. Wittop Koning (ed.): Facsimile of the First Amsterdam Pharmacopoeia 1636. Nieuwkoop, B. de Graaf, 1961. George Urdang (ed.): Pharmacopoeia Londinensi of 1618 reproduced in facsimile. Madison State Historical Society of Wisconsin 1944.
[77]    = 一致している、≠ 一致していない、≈ ほぼ一致している。
[78]    D.A. Wittop Koning: De Oorsprong van de Amsterdamse Phamacopee van 1636 Pharm. Weekblad 85, p.801 - 803, 1950. または、D.A. Wittop Koning (1961) p. 12 - 28, 1961.
[79]    Pharmacopoea Amstelredamensis (1636), p.107。「阿蘭陀外科医方秘伝」、50頁。
[80]    「阿 蘭陀外療集」巻6(慶大、富士川文庫)。「カスパル口伝薬方」(京都大学付属図書館、富士川文庫)。「紅毛外科書」(京大学付属図書館)。「阿蘭陀膏 薬」(京大、富士川文庫)。「カスパル流伝授本」(故宗田一蔵、京都市)。「外科要訣」巻3(河口家蔵、古河市)。『阿蘭陀外科指南』巻2。「阿蘭陀流外 科書」(京大、富士川文庫)。「阿蘭陀外科伝」(京大、富士川文庫)。「阿蘭陀カスパル秘方」(「繕生室医話」巻4(京大、富士川文庫)。「阿蘭陀秘伝膏 薬」(京大、富士川文庫)。「阿蘭陀外科書」(9州大学医学部付属図書館)。「阿蘭陀外科書」(杏雨書屋、大坂市)。「阿蘭陀外科書」(慶大、富士川文 庫)。「阿蘭陀カスパル伝抜書」巻4、5(杏雨書屋、大坂市)。「紅毛膏液」(東京大学総合図書館)。
[81]     宗田一「日本の売薬(17)−オランダ膏薬・カスパル十七方」117頁。
[82]     「オランダ外科秘伝書」内題「阿蘭陀可壽波留流」井澤元民于紀州華岡塾中。(1810年)(大阪、杏雨書屋)。
[83]     例えば「カスパル伝薬方」(京大、富士川文庫)。
[84]      NFJ 773(送り状 Casteel Batavia, 27.7.1649, Robijn号)。
[85]    「阿蘭陀外科医方秘伝」78、79頁。
[86]    「阿蘭陀加須波留伝膏藥方 附油藥水藥方」享和元年辛酉夏4月(1801年)井澤元民于紀州華岡塾中、29〜34頁、杏雨書屋(大阪)。「油取様書」、「和蘭薬品主治部」嵐山甫安自筆、明月亭写本、11頁〜、杏雨書屋(大阪)。
[87]    宗田一『渡来薬の文化誌』8坂書房、東京1993年(平成5年)。
[88]    (A)「阿蘭陀薬使様 井上筑後守殿 上写」(「阿蘭陀外科医方秘伝」)、(B)「萬渡薬使様 阿蘭陀外療書口伝」(「阿蘭陀外療集」巻7)、(C)「阿蘭陀薬種能毒カスバル伝渡薬」(「阿蘭陀加須波留伝膏藥方」)、(D)「阿蘭陀薬品主治部」(「阿蘭陀薬品主治部」)
[89]    語源の綴りは当時の通り。参考資料は (a) Américo Pires de Lima: A Botico de bordo de Fernão de Magalhães. Anais da Faculdade de Farmácia do Pôrto. p. 33 -109. Pôrto 1942. (b) Robertus de Farvaques: Medicina Pharmaceutica, of Groote Schatkamer der Drogbereidende Geneeskonst. Isaak Severinus, Leiden 1741.
[90]    ミイラの語源の問題について宗田一「阿蘭陀舶載薬の薬効等」『日本医事新報』第3623号、138頁、1993年10月2日(平成5年)参照。
[91]    「人魚」海牛のポルトガル名(Trichechus manatus manatus, Trichechus manatus inunguis, Trichechus manatus senegalensis)。
[92]    当時のオランダ語文献にはAmfioen、Amphioenという語形が見られ、それは恐らくアラビア語のafyumに由来するものと思われる。
[93]    宗田一の詳細な分析によれば、ビリリについて様々な説がある。宗田一『渡来薬の文化誌』123〜140頁、8坂書房、東京、1993年(平成4年)。出島蘭館日誌のある記述によれば「ビリリ」は同名の魚の血(bloet van d’visch Biriri)であったかも知れない(NFJ 92, DD 22.2.1679)。
[94]    ポルトガル語のconfeiçao de jacintosの発音が多少残っているようである。
[95]    イストウラスにはポルトガル語のestoraqueの影響が感じられる。
[96]    「阿蘭陀加須波留秘方」(成田市、成田仏教図書館)、5〜14頁。
[97]    「カスパル伝薬方」文正壬年写(京都大学付属図書館、富士川文庫)、3〜13頁。「紅毛膏液」(東京大学総合図書館)、1〜12頁。「阿蘭陀加須波留伝膏藥方 附油藥水藥方」(杏雨書屋)、20〜21頁。
[98]    「阿蘭陀加須波留秘方」6頁。
[99]     NFJ 65, DD 24.5.1652。
[100]    ヴォルフガング・ミヒェル「17世紀の平戸・出島蘭館の医薬関係者について」『日本医史学雑誌』第41巻第3号、85〜101頁、1995年9月(平成7年)
[101]    「南蛮流外科書」巻下。「和蘭ステイヒン伝来 南蛮流外科書」(京都大学付属図書館、富士川文庫)1〜14頁。
[102]    海老澤有道『南蛮学統の研究』497〜512頁、増補版、創文社、東京1978年(昭和53年)。
[103]    NFJ 64, DD 14.11.1650; NFJ 65, DD 24.5.1652; NFJ 66, 17.1.1653; NFJ 776 (送り状Casteel Batavia, 11.7.1652); NFJ 776(送り状Casteel Batavia 11.7.1652); NFJ 67, DD 31.1.1654; NFJ 69, DD 16.2.1656など参照。
[104]    阿知波五郎『近代医史学論考』上、39〜46頁、思文閣出版、東京、1986年(昭和61年)。宗田一「南蛮医学から蘭方医学へ」薬事日報、第3439号(蘭学資料研究会第6回大会講演要旨)。
[105]    それぞれの蘭館医についてミヒェル「17世紀の平戸・出島蘭館の医療関係者について」参照。
[106]    川島恂二「新発見 河口良庵著「阿蘭陀語」帖から」『古河市医師会報』第24号、1〜9頁、1992年12月(平成4年)。川島氏にこの文書のコピーを譲って頂いた。ここに謝意を表する次第である。

 

 

TOPTOP
inserted by FC2 system