ミヒェル・ヴォルフガング「初期紅毛流外科と儒医向井元升について」『日本医史学雑誌』、第53巻第3号、367〜385頁、2010年9月。
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キーワード:向井元升、「アンスヨレアン」、「スティビン」、紅毛流外科、折衷的受容、紅毛流外科秘要、證治指南、阿蘭陀伝外科類方
明暦2年儒医向井元升は大目付井上筑後守政重に依頼で阿蘭陀通詞を介して出島蘭館医「アンスヨレアン」と接触し西洋外科術に関する報告をまとめたが、翌年の11月に数週間にわたりその後任者「スティビン」の教授に基づいて誕生した書物もあるので、後世に伝わった写本は様々である。その代表的な資料とされた「紅毛流外科秘要」は、後世の混合物であり、「阿蘭陀伝外科類方」、「阿蘭陀外科医方」、「證治指南」の方が当時の様子をより正確に反映している。後者は、寛文9年で刊行された『阿蘭陀外科良方』によりすでに広く普及されたが、写本の伝習は19世紀まで続いていた。向井元升は西洋医術に関する情報をほぼそのままで取り入れながら、病理学に関する出島商館医の説明を中国系の教義をもとに解釈し、同化させた。紅毛流外科に関する日本人医師による史上初のこの文書は、西洋医学の折衷的受容の典型となった。