Wolfgang Michel: Von Leipzig nach Japan - Der Chirurg und Handelsmann Caspar Schamberger (1623-1706).
Muenchen: Iudicium, 1999


人文科学における学術論文の構成や文体が、文化圏によりかなり異なっているのは周知のことであるが、ドイツ人の文章は長くて複雑なことと、膨大な脚注とで知られている。筆者も、学校や大学で長年の間に身についてしまった、このドイツ的風潮の犠牲者といえなくもないが、一方で英語圏の著者建の明瞭な文章に憧れてもいる。今回の本の執筆にあたっては、学術的な正確さと洗練された文体を両立させ、「Historia」という語の原義(歴史・物語)を再考しつつ筆を進めようと心がけた。

カスパル・シャムベルゲルの「物語」の舞台は17世紀、日本が外界との交流を制限していた時代である。以前から彼は医史学者の間で、日本の紅毛流外科の始祖として知られてはいたが、その生涯にわたる経歴や日本で誕生した新しい医学パラダイムの背景などについてはほとんど謎のままだった。偶然発見した資料に触発され、筆者は90年代の夏はほとんど旧東ドイツやオランダ、日本の公文書館、図書館、個人のコレクションの調査にあけくれた。ときには困難を伴うこともあったが、それでも次第に、この人物の詳細な生涯像や当時の状況が明らかになっていた:30年戦争中の幼年期、当時のライプツィヒにおける外科医と床屋組合の確執、ギルドでの見習い修業、各地への修業の旅、オランダ東インド会社入社、バタヴィアへの航海、1649年から1651年までの2年間の日本滞在(そのうち半分は江戸に滞在)、通詞猪股伝兵衛の業績、大目付井上筑後守政重の役割、新しい医学パラダイムの構成要因、「カスパル流外科」の普及に寄与した弟子河口良庵、シャムベルゲルのヨーロッパへの帰郷、商人としての第2の人生、彼の家族と財産、晩年と死、シャムベルゲル家の没落。

この「歴史探検」を続ける中で、筆者は大いに刺激を受けた。普段なら決して出会うことのない人々と知り合うことができ、また、シャムベルゲルの足跡をたどるため、私にとってはは未知の国であった旧東ドイツへも毎年出かけて行くことになった。こうして1990年の東西ドイツ統一後のライプツィヒに訪れた挫折や、人々の歓喜と不安、その後の復活への手探りの努力などを現地で体感できたことは、得がたい体験であった。

ヴォルフガング・ミヒェル

 

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