「九州大学図書新聞」1994年


ヴォルフガング・ミヒェル

ドイツ統一後の図書館


 修道院の図書館を始め、新旧大学附属図書館、市立、州立、国立の図書館、専門文書館、あるいは種々の保管局や財団が経営する図書館に至るまで、ドイツの図書館は様々な歴史的変遷を経験してきた。 元のままの姿をとどめているものもあれば合併したり分割したりしたものもある。ドイツの中央権力の基盤は、大抵の場合政治、経済の各面にわたって脆かったので、各地域は比較的均衡のとれた発展を遂げきた。図書館の分布と内容もこうした歴史の流れを反映している。

 第二次世界大戦中、蔵書の多くが郊外の旧鉱山、洞窟などに移し、空襲を免れたにもかかわらず、損失は大きかった。また終戦前後の混乱の中、絵画、骨董品と同様に数多くの貴重な出版物が西へ東へと消えていった。その一部は、西側戦勝国と1952年結ばれたドイツ条約によって戻ってきた。それでも個人の遺産オークションなどでは、消息不明になっていたものが今日でも出てきたりすることがある。所有者が幾度も変わり、法律上種々の困難な問題があるので、返還交渉の殆どは買い戻しという結果になる。また、ソ連崩壊後、モスクワ、ペテルスブルクなどでも莫大なドイツの蔵書が再び日の目を見た。冷戦時代中ソ連の図書館員や修復者が懸命に守り通したものもありますが、湿気やかびだらけの地下で忘れられ、かなり痛んでしまったという調査報告もよく新聞に載っている。ロシア側は原則として返還の用意があるが、生活が日々厳しさを増すなか、外貨で誘う西側の収集家や闇商人の元へかけがえのない書籍が次々と消えていき、元の所有者への返還は時間との戦いになっている。

 かつてドイツ帝国の東部であったシレジア、東プロイセンなどの地方は現在ポーランドとロシア領になっている。昔の ブレスラウ、ダンツィヒやケーニヒスベルクの出版社から限定版で発行されたものは地元の図書館にしか保存されていないこともある。ナチスドイツが引き起こした戦争による領土の縮小を一種の歴史的懲罰として受け入れたドイツはそれらの図書などの「返還」を要求する権利も放棄した。幸いにも、戦後そこで育った世代は東西間の緊張緩和や新しく築き上げられつつある友好関係のお蔭で、自分の故郷の歴史を冷静かつ正確に見つめようとしている。史料編さん所、図書館、公文館のドイツ語書籍の保存や閲覧も以前より容易になった。

 戦後、ドイツ人のみが住む「残部ドイツ」()の文化生活も引き裂かれた。元の資産の分散や東西の対立のため、両ドイツになどの同名の出版社が誕生した。また、西ベルリンにプロイセン国立図書館が新設され、終戦頃至る所に分散して保管されていた書籍を手当たり次第収集した。古い本の図書カードにはよく、この書籍は「ウンテア・デン・リンデン通り」にある、と付け加えられている。それは「向こう側」(東ドイツ)の元のプロイセン国立図書館を意味したものであった。ブラント政権化の緊張緩和を目指す「東方外交」のおかげで、70年代以降この二つの図書館の間の電話連絡が認められるようになった。1990年末のドイツ再統一後は、両方の図書館もまた組織上一つになり、東側には研究者のための、西側には一般向けの図書館を置くということや蔵書の再編成の同意ができている。

 私が育った旧西ドイツは、地方主義の伝統を重視してきた。今日のドイツ連邦共和国においても、教育制度などを含む文化統治権は、それぞれの州にある。したがって、戦後の図書館制度の再建に際しても州によりさまざまな方針があったが、利用上の改善のため、多少とも総合的な対策が避けられなかった。いわゆる「重点目録」(Zentralkatalog) を七つの州に作り、それぞれが担当地域の図書を登録することにした。70年代末から徐々に「ドイツ語による文献の総合目録」(Gesamtverzeichnis des deutschsprachigen Schrifttums) が発行されたが、残念なことにそれも1700年以降の分に限られており、それではなお不完全であるということはわかった。写本などの資料に関しては特にベルリンで全般的な把握を目指しているが、この場合も、統一後、仕事は山積している。

 かつて出版界で名を駆せた東部のライプツィヒにある「ドイツ図書館」(Deutsche Buecherei)は、約80年前に設立されて以来、ドイツ語の新刊を集めている。戦後まもなく、私の故郷フランクフルトには「自由ドイツ」を標として、ほぼ同名の「ドイツ図書館」()ができ、西側の出版社には新しい刊行物を一冊ずつそこに寄贈することが義務づけられている。ここには「高等な」文学作品や学術書のみならず、後世に現代社会の実情をそのまま伝えるため、料理本、好色本、はては掃除機の取扱説明書にいたるまで保管されている。毎日1000冊もの新刊が1200万冊の蔵書に新たに加えられている。1990年の統一条約により、叙述の両図書館はDie として統合され、その後新刊書はそれぞれ一部ずつライプツィヒとフランクフルトへ送られるようになった。ライプツィヒの方が伝統はあるが、そこに集められている戦後の西側出版物の数は少ない。フランクフルトの方は最新の技術の導入により、迅速でみごとなシステムになっている。

 戦後のフランクフルトはまた、国際書籍見本市を開き、ライプツィヒの伝統的見本市を圧倒してきた。その見本市に行くと、作家たちは、本を出すのに果たしてまだ意味があるのだろうかという疑問を抱き、あちこち見て回る一般の読者も読書意欲を失いかねない程その規模は年々大がかりなものになってきた。


フランクフルトの「ドイツ図書館」(1997年完成)

 旧東ドイツでは政治的に好ましくない図書館、財団などは厳しい統制を受けた。たとえば啓蒙主義の牙城であったハレのFrancke牧師が約300年前設立した蔵書や博物標本のコレクションを管理するフランケ財団はその代表的な例である。国家の補助金が意図的に縮小されたため、建物全体は文字どおり徐々に老朽化してしまった。屋根には穴が開き、しっくいは落ちかかっていると、そこを訪れたことのある人の報告を読んだ。1988年には、数階に亘って置いてある書架などにまる一日ひっきりなしに雨が入り込んだ。昨年以来、財団の施設が修復され、さらにハレを1994年からヨーロッパ啓蒙主義研究の中心地にしようという準備が進められてる。有名な西部のヴォルフェンビュッテル研究図書館、マールバッハの文学館や東部のゴータ研究図書館 と並んでハレは間違いなく国際的な出会いの場になるであろう。

 最後に欧日両方の図書館を長年に亘って利用してきている者として幾つか気付いた点を付け加えたい。ドイツの図書館の特徴は一口で言って開放的である点にある。成人、つまり18才以上で身分証明書を携帯していれば、殆どどの図書館でも全書籍を閲覧室で読むことができる。これは旅行者でも同様である。よく整理が徹底した施設では貴重書でもすぐに出してくれる。書庫が別な場所にある場合には半日位待つこともある。図書館によっては、旅行者用に1日かぎりの証明書を数分のうちに発行してくれるところもある。大学図書館の多くが一般の人向けにも公開されている。たとえばフランクフルトの場合は市立図書館、大学図書館、自然史博物館附属の図書館が一つになっている。これだけの設備とスタッフがそろうと、能率のよいサービスが受けられる。そこは写本、地図、古書、自然科学系等、いくつもの専門分野に別れている。職場の配置換がないので、係員は大抵その担当分野に関してはかなりの専門家になっていて、蔵書を熟知しており、研究内容上の問題にまで立ち入ってアドバイスと手助けを与えてくれることがある。勿論ドイツにも満足のゆかない図書館はあるが、快適で近代的な閲覧室としては、例えばプロイセン国立図書館(西ベルリン)がそのよい手本である。天井が高く、 館内の様々な閲覧区域がテラス式に設計されていて、あらゆる処に目を喜ばせてくれる緑地帯や 採光のよいテーブル、手頃なカフェテリア、休んだり勉強会ができる広いロビーで等が設けられている。フランクフルトの新しいドイツ図書館も将来へ向けての基準を設けるであろう。旅行中でも気軽に各地の図書館に立ち寄られるようお勧めしたい。公の図書館はただ本を山積みにするだけの場所ではなく、スタッフを含め面白くて「変わった」人々の溜まり場でもある。

 

 

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