Wolfgang Michel: Saibaasupeesu ni okeru enkaku to kinsetsu [Nearness and Farness in Cyberspace]. In: Radix, No.9 , p.16-17, Kyushu University, Ropponmatsu Campus, 1996.

ヴォルフガング・ミヒェル (Wolfgang MICHEL)


サイバースペースにおける遠隔と近接


不思議の国の日常だ。研究室に入ると、上着を脱ぐのももどかしくコンピュータのスイッチを入れ、研究仲間や友人からの電子メールに目を通す。なるべく早く返事を送る。届いた文章には手を加えて返送できるので、文の書き方がかなり変わってきた。文体は簡潔で直接的になったが、その流れや優雅さは失われた。ラブレターとしては相変わらず便箋の方が喜ばれるであろう。いずれにせよ、私はこれまでよりも多く文章を書くようになった。封筒に宛名を書く手間もいらず、郵便局で待つ必要もない。一日もしないうちに、大抵は返事が入ってくる。全ドイツの電話帳を載せたCD-ROMのおかげで、幼稚園から大学まで学友であった仲間たちの行方がわかるようになった。インターネットのおかげで改めて、親友なった者もいる。8時間の時差もなくなり、相手が少し早起きさえしてくれたら、インターチャット(interchat)を利用して直接的なやりとりすらできる。技術的には面白いだろうが、少々頭が薄くなった今(写真参照)、カメラを買う気にはならない。

時間があれば、USENETにちょっと入ってみたりもする。そこでは学問的な問題の論争から映画俳優のファンクラブに至るまで何千という「ニュースグループ」がひしめきあっている。それぞれに全世界から様々のニュースが集まってくる。理性と感性、問い合わせ、提案、主張、挑発、通知、回答、侮辱、宣伝、デマ、欲望、ダイヤモンドと糞等など、すべてがごっちゃまぜに共存しており、そこには、時々怖くなる程あらわな人間の心象風景が暴露されている。それらは、今日現れたかとおもうと、明日は消え去り、常に変化する有機体のようなものである。助言が必要とならば、関連のニュースグループに名乗りをあげればよい。意見交換がしたければ、その相手にはこと欠かない。日本に興味を持つ外国人との意見交換であれば、例えば、日本語、日本文化などについて多くの疑問が寄せられているニュースグループ「sci.lang.japan」、「fj.life.in-japan」、「alt.japanese.text」をクリックすればよい。

時には私自身も思わず意見投稿をしてしまうことがある。たとえば、この間、複数のニュースグループの間で、「ドイツ人を憎む10000の理由」と題して、一部偏見に満ちた耐えがたい論議が沸き起こっていた。私が日本から発信していたせいか、北京大学のある物理学者が、Michelという名字にもかかわらず私を日本人だと思い込んだのであろう、非常に激しく攻撃してきた。「日本人の貴方にはドイツ人を弁護する権利など一切ない筈だ。ドイツ人は戦争責任を認め、改悛の情を示しているが、日本人は今日でも過去と真剣に取り組もうとしていないではないか。日本人は絶対に赦せない」等などと。以前新聞などで、中国の国民感情について色々と一般論として読んできているが、個人的なレヴェルの発言の迫力は比べものにならない。このような対話は、多くの日本人と隣国の人々との間でなされたらよいのだがと思いながら、その後も数回にわたって、Eメールを通じ北京の相手と過去の問題や未来のアジアのことを論じ合った。 少し「古びた」ので、一見それほど興味を引きそうでもないが、内容が豊富で学問的にもしっかりしているGOPHER-SPACEへ行ってみるのもいいだろう。私の場合には、普通国立がんセンター(IP-Adress: 160.190.10.1)から入って、メニューを渡りながら世界中の各種研究機関にアクセスできる。キーの操作ミスで、癌症例データや他の医学的な資料集に入ってしまうこともある。21世紀の医師は情報で固められた患者を前にするようになることだけは確かなようだ。

TELNETも文字のみの情報システムである。最近は他の方法もあるが、文献を探すときには今でもカリフォルニア大学のMELVYL-System(IP-Adress: 192.35.222.222)を使うことが多い。ここからはアメリカとイギリスの図書館などがつながる。研究文献を概観したり、文献リストを作ったり、あるいは、それらを書誌学的に補足する際、場合によっては、図書目録が大いに役立つことがある。

今日、公共の機関はほとんどが、上記の資料を始めとして、様々な文献、映像などをWWW(World Wide Web)を通じて公開するようになっており、これまでのネットワークは将来的には後退することになるだろう。また、Netscape社の優れたソフトウエアのおかげで、WWWもGopherなども、同じブラウザで、利用できるし、電子メールの送信も簡単である。

すでに多くの大学がWWWに「ホームページ」を載せており、そこからマウスクリックにより次々と図表や写真、入学の条件や教官及び講義内容、電子メール等への接続が可能になっている。留学したいと思えば、ここで情報が得られるし、読んだ論文についての質問があればその著者とのコンタクトも大抵は取れる。学術論文のテクストデータベースがあれば、イラストを含めて全文を自分のPCへコピーできる。

一流の新聞社の主な記事は「Web」で読めるようになっており、読者の投書も直接編集部のコンピュータに入る。放送局や通信社、政党、政府機関、企業等、Web の写真と文字情報はメディアや政治、経済面にも新たな局面を開いた。

Yahooなどの検索システムのお陰で2、3のキーワードで世界中の関係機関などが画面にリストアップされる(http://www.yahoo.com/、http://galaxy.einet.net/、http://www.dejanews.com/ 等など)。上手に絞っておかないと、その量のため詳しい検索をやめたくなることもよくある。海外の本などの購入も簡単になってきた。オーストラリア原住民の楽器didgeridooの響きに魅了され、その入手の方法についていろいろと調べてみたが、今年になって、それを取り扱うオーストラリアの店がホームページを設置していることが分かり、長年の夢がやっと叶えられた。

この情報の海の上層は英語によって形成されているが、少し下層に潜ってみると、様々な言語と文字に触れることになる。ある情報がどこにあるのかわかっていても、それが読めなければ何の役に立つだろうか。できるだけ多くの言語について、その基礎知識を持つことが、これまでになく重要になるだろう。

この新世界の可能性は無限の広がりをもっているように見え、探検家はそれに圧倒されかねない。時間と空間の観念は消失し、遠方のものも近く感じられ、苦労せずにすべてがいつでも手に入りそうな思いにとらわれる。しかし、このみなぎり溢れる情報はとても吸収しきれないし、またそれらをすべて手に入れることが人生のすべてでもない。ネット・サーフィン中毒にご用心を。ホーム・ページをリンクしながら滑り続けるのは、とても楽しいことだが、目的を見失ってしまうと、いくらサイバー空間を飛び回っても、仕事や勉強には行き詰まってしまうことになる。さまざまな誘惑に対して抵抗力をつけておくことが大切である。重要なものとそうでないものとを区別するには、これまで以上に自立心や自己規律、それに判断力が必要となる。それらを養うには、学校教育で与えられる単なる知識だけでなく、実社会での豊富な体験も蓄積しておかなければならない。10歳の息子、萬里雄にとってはまだ、この2次元の映像の世界より、山や海での遊びの方が大切だと思っている。

画面に現われる情報は、一定の団体が、一定の観点で選択、加工、編集し、一定の目的を持って流されているものであるから、批判的に見ていかなければ、狭量になり、操作されかねない。また、自分の部屋から表面的に、自由に外国の人々と接していると、彼等が自分とは異なった人間なのだという感じが薄れてくる。遠いことが、直接体験できたと信じ込んでしまうので、身近なものに思えてくる。自分の殻から出て、努力して異国の人々に近づき、失敗を克服しながら一緒に行動をとることは、サイバー空間においてはなかなか無理である。確かに画面の上での旅は、仮想旅行者(http://www.vtourist.com/vt/)に、これまでのどのメディアより、カラフルで、詳しく、また最新の情報を遠くの世界から届けてくれる。しかし、それらは、空の色、季節の移り変わり、食べ物の匂い、都市や村のざわめき、人々との出会い、会話、討論、広場や博物館、山野での新たな自然の発見等などには、到底代わり得るものではなく、実際に、その国を旅したことにはならないのである。

 

 

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