REVIEW OF: C.P. Tsunberi (cho), Takahashi Fumi (yaku): Edo sanpu zuiko-ki. Heibonsha, Tokyo 1994. In: Nihon Ishigaku Zasshi, Vol.43 (1997) No.1, pp. 129 - 130
『日本医史学会雑誌』第巻43第1号、1996年、129〜130頁


ヴォルフガング・ミヒェル

書評: C.P.ツュンベリー著、高橋文訳『江戸参府随行記』


リンネはその生涯においてヨーロッパを離れられなかったことはとても残念に思った。その大胆な分類が海外の植物に対しても適切で普遍的であるかどうかは彼にとって非常に重要なことだったからである。そのために彼は、「使徒」と呼んでいた弟子たちにフィールドワークをするよう奨励し世界中に送り出したた。その中では、南アフリカと日本の植物学を体系化し、世界中に紹介したカル・ペーテル・ツュンベリー(Carl Peter Thunberg)が今日最も重要視されている。南アフリカでは三一〇〇種の植物を判明した彼にはほとんど資金がなく、その研究を進めるため、常にボーア人農民の好意に依存していた。日本では宿泊や移動及び金銭的な問題はなかったものの、彼の活動範囲は長崎近郊と江戸参府旅行に限られていた。そのためであったか、すでにケンペルがその『日本植物誌』でかなりの準備作業を行っていたにもかかわらず、ツュンベリーが記した日本の植物の数は八一二にとどまっている。ケンペルとツュンベリーは二人とも日本人の通詞や協力者に依存していたが、後者の時代には蘭学が開花し、西洋に強い関心を抱く桂川甫周や中川淳庵などの学者とも知り合い、スウェーデンに帰国した後もある彼らと程度の交流を持つこともできた。ケンペルはその日本研究の成果を十分に発表することもなく地方の伯爵の侍医として様々な不満を抱えながらこの世を去ったが、ツュンベリーはスウェーデンの学界及び社会において高い地位を得た。

中間報告や短い論文を出した後に、一七八八年ウプサラ大学のエドマン出版社からツュンベリー旅行記の第一巻が刊行になった。ここではオランダと南アフリカについて記されている。後者については一七八九年に出版された第二巻でも重点的に扱っている。第三巻(一七九一刊)はもっぱら日本について書かれた。第四巻(一七九四刊)はそもそも予定されなかったがここではさらに、日本やジャワ、セイロンの文化について、またスウェーデンへの帰途について述べている。 当時、ヨーロッパ人の関心は非常に高かった。ケンペルの『日本誌』(一七二七刊)以来、これを補い、確認し、訂正できるような新たな報告をした著者はいなかったからである。その後一七九六年までにツュンベリーの著作はドイツ語で二巻、英語とフランス語で一巻ずつが刊行された。訳者の名が不明である英語版と、グロスクルトから発行されたドイツ語版が比較的正確である。フランス語版は著名な東洋学者ラングレによるが、ほとんどシュプレンゲル訳のドイツ語版に基づいている。このフランス語版からさらに山田珠樹が一九二八年に『ツンベルグ日本紀行』(昭和三年刊)を発表している。ベルリンの「Japaninstitut」が一九三〇年に刊行した機関誌『YAMATO』の中で武藤長蔵は「カントの人類学とツュンベリーの日本滞在」と題する論文を発表し、長崎の薬学者富士川次郎のドイツ語版からの翻訳があることを指摘している。しかし古賀十二郎が入手したこの原稿は出版されなかったため、日本の読者はこれまで、一九六六年に復刻版(異国叢書、雄松堂、昭和四一年刊)として改めて出版された山田訳に頼らざるを得なかった。

中川淳庵及び桂川甫筑とツュンベリーの出会いを描いている原文の記述と従来の訳文を比較してみると、ツュンベリーの著作の受容史における問題点の幾つかが浮かび上がってくる。ドイツ人シュプレンゲルは中川の名前と高齢を省略し、フランス人ラングレはしばしば文を置き換え、固有名詞を書き換え、一つの副文全体を省いたりもしている。英語への訳者は「physik」と「oekonomi」を「natural philosophy」と「rural oeconomy」として誤訳している。山田はラングレのフランス語はよく理解しているが、その誤訳や欠如も日本語訳に引き継いでいる。ツュンベリーが江戸時代の最も著名なヨーロッパ人日本研究者三人のうちの一人であることを考慮すれば、六〇年以上も日本語訳がフランス語やドイツ語からの重訳で満足させられていたことには驚かざるを得ない。また、上記の短い例が示すようにヨーロッパの翻訳をそのまま信用するのも考えものである。当時は外国語の文章を扱うのも無造作で日本についてもほとんど知られていなかった。高橋氏がどれほど慎重に訳出したかは原文や山田の文章との比較から一目瞭然である。その『江戸参府随行記』はスウェーデン語の原文を元にしたツュンベリーの初めての日本語訳であるばかりでなく、同時に近代で初の翻訳でもある。本文はツュンベリーの本の第三巻全体を網羅し、そのスケッチも含む。巻末の木村陽二郎による「ナチュラリスト、ツュンベリーの長い旅」は情報に富み、片桐一男の「ケンペル、ツュンベリー、シーボルトの日本研究と阿蘭陀通詞」は非常に興味深い。残念なことに、さまざまな論文で卓越したツュンベリー研究者として知られる訳者の後書きはきわめて短い。ヨーロッパでもスウェーデン語の知識はスウェーデン人以外ではほとんどなく、日本ではツュンベリーの言葉とその文化的背景に高橋氏ほど通じている人はさほど数多くはいないのではないか。氏の翻訳により、初めて信頼のおける研究の土台が用意された。歴史愛好家や旅行記の愛読者にも得るところの多い、同時に楽しめる読み物として心から推薦する。


C.P.ツュンベリー著、高橋文訳『江戸参府随行記』東洋文庫五八三、平凡社、東京平成六年(一九九四)四〇六頁。

 

 

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