On the Background of the "Compass of Dutch Surgery" (1696). Japan Society for Medical History, 100th Annual Congress, Tokyo 15.5.1999
日本医史学会、第100回研究発表大会、東京１９９９年５月１５日
OUTLINE
『阿蘭陀外科指南』の背景について |
一七世紀の写本や刊行物を調べると、純粋な南蛮流外科の書物はないように思われる。たとえば、一般に帰化人沢野忠庵（Ｃｈｒｉｓｔｏｖａｏ Ｆｅｒｒｅｉｒａ、一五八〇～一六五〇年）によるとされる写本「南蛮流外科秘伝書」（＝「南蛮流外科書」、京大）には栗崎流の文書と同様に、イベリア、オランダ両方の要素が混在し、その中にはいわゆるカスパル流外科（「阿蘭陀外科医方秘伝」、「阿蘭陀外科書」（京大、慶応、九大）、「阿蘭陀外療集」（慶応）、「阿蘭陀加須波留秘」（千葉大）など）との奇妙な類似点も目に付く。表題に「南蛮流」という語を用いながら、紅毛流外科の要素を持つその他の写本も少なくない。このため、元禄六年（一六九六年）に刊行された『阿蘭陀外科指南』が日本の医学史関係の文書でよく南蛮流の書だとされているのは、いささか奇妙な感じがする。
これを定説として位置づけたのは海老沢有道であった。彼はヘイビリ（ｆｅｂｒｅ）、ヒリウ（ｆｒｉｏ）、サンキ（ｓａｎｇｕｅ）、ヘレマ（ｆｌｅｕｍａ）、ネルボ（ｎｅｒｖｏ）、メイチャ（ｍｅｃｈａ）などポルトガル語の用語や体系的な構成に着目し、『阿蘭陀外科指南』が沢野忠庵による南蛮流の文書を基にしていることを『南蛮学統の研究』（増補版、創文社、昭和五三年）において主張している。彼は「阿蘭陀外科」という表題が付けられたのは、キリスト教を思わせる「南蛮」という語をさけるためのカムフラージュに過ぎなかったとしている。
しかし、一七世紀の日蘭交流においてはオランダ語よりもポルトガル語の方が大きな役割を果たしているし、『阿蘭陀外科指南』には一六六〇年代に編纂された医薬学関係の用語集（河口良庵著「阿蘭陀語」〔川島恂二蔵〕、「阿蘭陀口和書」〔九大〕など）及び「カスパル」（＝Ｃａｓｐａｒ Ｓｃｈａｍｂｅｒｇｅｒ、滞日期間一六四九年～一六五一年）、「アンス・ヨレアン」（＝Ｈａｎｓ Ｊｕｒｉａｅｎ Ｈａｎｃｋｏ、滞日期間一六五五年～一六五七年）、「コルネリス」（＝Ｃｏｒｎｅｌｉｓｚ Ｓｔｅｖｅｎｓ、滞日期間一六四二年～一六四五年やＣｏｒｎｅｌｉｓｚ ｄｅ Ｌａｂｅｒ、滞日期間一六五五年～一六六六年？）など出島蘭館医の名やアムステルダム薬局方（Ｐｈａｒｍａｃｏｐｏｅｉａ Ａｍｓｔｅｌｒｅｄａｍｅｎｓｉｓ、一六三六・一六三九年版）による膏薬の処方等が多く見られる。
他の一七世紀後半の諸写本及び『阿蘭陀外科良方』（寛文一〇年刊）や『紅毛秘伝外科療治集』（貞享元年刊）等と比較してみても、『阿蘭陀外科指南』は、表題が示すように、出島商館の外科医たちに遡る資料をまとめたもので、紅毛流のものであることが確認できる。
