■演 題 「ヨーロッパの珍品陳列室から見た市岡家の標本コレクション」



■研究者名  ヴォルフガング・ミヒェル(九州大学大学院言語文化研究院)

市岡智寛収集品(飯田市立中央図書館蔵)■発表日
  2004年10月10日(月)
  講演会・シンポジウム「江戸時代の好奇心-市岡家を通して-」)

■場 所  飯田市美術博物館

市岡智寛収集品(飯田市立中央図書館蔵)

■内 容

 近世ヨーロッパのコレクションの前身を追求すると、中世の教会が蓄積していた遺品、聖遺骨等に辿り着く。日本の宝物殿の神宝、法具等は西洋の場合と同様 に見る人の視線を古代に誘い、神秘的な力を発揮する。ルネサンス時代以降、西洋の個人コレクションの歴史が始まる。当初は一般的で代表的なものより無比な ものが求められた。「驚異の部屋」の収蔵品は古美術品等のような人工の品々と共に、自然標本に至るまでの広がりを見せた。自分のコレクションを研究目的に 利用する薬剤師、医師、学者にとっては収集品の特異性より類型性こそが重要だった。大自然を縮小した形で自分の管理下に置いたコレクションでは同定、分類 の近代的研究方法が発達した。

 日本においても海外からの珍品がものの蓄積を促進した。室町時代には中国の漆器、磁器、漢籍、書画等を飾るための違い棚、書院等が造られるようになった。西洋人の到来により舶来品の種類はさらに増え、貿易の世界的規模化は日本の富裕な人々の生活環境を大きく変えた。

 江戸後期に代官所の役人を務めた市岡の5代家督ともひろ智寛及び7代たかとも嶢智により蒐集、拡充された品々は近世の欧州中産階級のコレクションに類似 している。父智寛は千村陣屋の重役を務めながら兵学、漢学、本草学、医学、天文、地理、考古学、和歌、絵画、茶道、華道に力を注いだ。特に『伊奈群菌部』 が注目に値する。父と同様に好奇心旺盛で絵画の素養を持つ息子嶢智は特に本草学に詳しく、信州の山野水辺を歩き回り先学者の説を交えながら988種の植物 を色彩図譜『本草図彙』に収録した。現存のコレクションは木箱に収納されている化石、貝類のような品々、また道具や書籍、掛け軸を含めた幅広いものであ る。文書資料の一部は器物資料と密接に関係している。市岡家の自然標本のほとんどは「鉱物標本」、「貝類標本」等5つの木箱に収納されている。上記の収蔵 品は人工のものから岩石、貝類などの自然標本まで多岐にわたる。

 西洋においても東洋においてもコレクションは社会的側面を持つ。近世ヨーロッパの陳列室では、標本の大半は整理箪笥にしまい込まれ、見物客の眼から隠さ れていた。市岡家の重箱の蓋を開けると当時の歓声まで聞こえてきそうである。一気に箱全体を見るより、一部ずつじっくり味わうことが重要だったに違いな い。

 芳名録の「短冊窟」、「名残草」及び「響応宴集記」に見られる和算家、絵師、蘭学者、棋士、本草家の署名は市岡家の多彩な人脈と手厚いもてなしを物語っ ている。来客の多くは収蔵品を鑑賞することができたと思われる。その披露により、客と交わす話題が生まれただけではなく、市岡父子は相手の知識、注目度、 社会的評価、社会的地位の向上と再確認を得た。また、見る人も知識を深め市岡家との関係をより密接にすることが多かったであろう。このコレクションは純粋 に学問的な目的のために蓄積されたものとは言いがたく、近世ヨーロッパと同様に収集家の趣味及び社会的交流との関連性が高いものだった。また、日本には専 用の陳列室はなかったので、収蔵箱は客の接待が行われる部屋に近い、取り出しやすい場所に収納されていたと考えられる。茶道に力を注いでいた市岡屋敷の場 合は茶室の周辺だった可能性が高い。

 溢れ出る知的好奇心、外界の観察、記録や把握への意欲には近世学者との共通点が確認できるが、遊び心を抑える厳しさと体系化及び「仲間」との研究上の連 帯強化への執着は感じられない。そのような意味で市岡父子を遊戯的人間(homo ludens)として位置づけたくなる。



TOPTOP
inserted by FC2 system