「江戸時代の薬袋に書かれた暗号のような薬の名前−一字薬名について−」(演題)


■ 遠藤次郎(東京理科大学薬学部)、中村輝子(東京理科大学薬学部)、W.ミヒェル(九州大学大学院言語文化研究院)


要旨

 薬箱の調査では、薬袋の上に記されている生薬名と薬袋の中の生薬を比較しながら確認する方法をとった。この作業で困難であったのは、現在使われていない生薬名、ことに、生薬名を一字で表記する「一字薬名」で書かれている場合であった。本報告では一字薬名の系統と意義について検討を加えた。

  木祖村宮川史料館のいくつかの往診用薬箱は、写真1のような一字薬名による表記であった。一般に一字薬名は、@家伝を守るための暗号、または、A筆写を便利にするための省略形、と言われている。この通説の真偽を時代も踏まえて検討して行きたい。

(1)室町時代末から江戸時代の半井家の医方書には、一般的な生薬名と一字薬名とが混じって見出される。この一字薬名は生薬の一般名の一字を採っていることから、ここにおける一字薬名は省略形の意味合いが強いとみられる。

(2)室町時代末期、日本漢方後世派の開祖とされる田代三喜の著作の1つ、『百一味作字』では文字の断片を巧妙に組み合わせて各々の薬効を表現する一字を作り、生薬名にしている(写真2)。例えば「イと昔とリヨ」を組み合わせた「陳皮」の一字薬名は「イは気也、昔は散也、リヨは痢也」とあり、「陳皮は腹部の気の乱れからくる下痢を治す」ことからこのような一字薬名を作ったことがわかる。この作字は三喜以外の医方書には例をみないことから、家伝の色彩が濃いとみられる。

(3)田代三喜の弟子、曲直瀬道三の著作にも一字薬名が見られる。ただし、この一字薬名は三喜のものとは異なり、生薬の一般名あるいは異名の一字を採ったものである。異名の中の一字名には特殊なものも多い。

(4)江戸時代に出版を重ねた医方書『衆方規矩』には一字薬名を生薬名に対応させた表が収載され、本書は江戸時代の一字薬名の教本としての役割を果たした。本書によって「家伝の秘密」という一字薬名の側面は消え、筆記を早めるための省略形の意味合いが強まったと見られる。

 一般名の一字だけでは他の生薬と重複することもあるため、異名の一字も採用されたが、異名は一般にあまり知られていないために、結果的には隠し字のような印象を与えたという経緯を明らかにした。

  木祖村での一字薬名の調査で特異な例として、野中眼科資料館の「托ソZ館薬品釈名」(写真3)が挙げられる。ここにみられる薬品名は、田代三喜の作字のように、全く新しい文字が作られている。他の医方書にこの例を見ることがないので、この作字は比較的狭い範囲で行なわれたものと推測される。一字薬名の歴史の中では特筆される例であり、今後検討して行きたい。


写真1:一字薬名

写真2:百一味作字

写真3:托ソZ館薬品釈名

 

 

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