「近世ヨーロッパに伝えられた日本の鍼灸」

 

ヴォルフガング・ミヒェル「点描:近世ヨーロッパに伝えられた日本の鍼灸」 パネル展示「人物を通してみる日本鍼灸の歴史」(パネル7)。第59回全日本鍼灸学会学術大会、大阪国際会議場、2010年6月11日 [招待ポスター]
Wolfgang Michel: Japanese Acupuncture and Moxibustion in Early Modern Europe. Japan Society of Acupuncture and Moxibustion, 59th Congress. Osaka, 11-13 June 2010. [invited poster, in Japanese]

Printed in: Journal of the Japan Society of Acupuncture and Moxibustion || 61(1) || 2011 || pp.10-11 (全日本鍼灸学会雑誌). (pdf file, Kyushu University Institutional Repository)

 

(1)東西医学交流における日本の位置づけ

19世紀初頭まで、「東洋医学」に関する情報の大半は中国からではなく、長崎出島商館を通じてヨーロッパに伝えられた。この情報の担い手はオランダ東インド会社の医師たちや学者志向の商館長だった。情報不足や言葉の壁のため東アジアにおける文化と学問の多様性をまだ十分に認識できていなかった彼らは、日本で観察した鍼灸を「日中共有の伝統医学」としてヨーロッパに伝えた。しかし、その中には日本人が考案した日本独特のものが含まれており、ときには日本が取り入れた蘭方医学の要素が確認できることさえある。

図1 継続的医学交流の場となった出島商館。28番は外科医の家、24番は病院。Thomas Salmon: Hedendaagsche Historie, of Tegenwoordige Staat van Alle Volkeren. 1729より。
fig01

 

 

(2)「管鍼法」と「打鍼法」

元禄3年に来日したドイツ人医師ケンペル(Engelbert Kaempfer, 1651~1716)の著作には、中国の捻鍼法のほか、「管鍼法」と「打鍼法」という日本で生まれた新しい鍼術が見られる。子供の頃に失明した杉山和一(1610~1694)は、捻鍼法による刺鍼術を体得しようと試みたが、どうしても上達しなかったので、管の利用により鍼を刺す深さを把握する管鍼法」を考案した。今日では、ステンレス製や硬質プラスチック製の鍼管が世界中で使われている。

「打鍼法」を考案したのは、16世紀後半の僧侶夢分である。彼は従来の経絡系統を無視し、腹部のみを診断や治療の場にした。夢分の打鍼法はその息子とされる御園意斎(1557~1616)によってさらに広められた。

fig02 図2 ケンペルが持ち帰った小槌、金針及び鍼管。治療例は「Colica」(疝痛)の穴を示している。疝気の際、腹部に気が停滞するとの説明を受けたケンペルは、それを「Colica」(疝痛)と見なし、針の打ち込みで、腸内に溜まるガスが放出されると解釈してしまった。Engelbert Kaempfer: History of Japan, (1727年)より。

 

 

(3)「経絡」と「気」

言語に関しては出島商館の阿蘭陀通詞に頼るしかない西洋人医師は、「経絡」と「気」の理解に苦しんでいた。「経絡」は動脈と静脈のことであり、「気」は蒸気」、「ガス」、「プノイマ」(pneuma)のようなものであるという解釈が18世紀後半まで続いていた。

図3 1674年に来日したテン・ライネ博士(Willem ten Rhijne, 1647~1700)が「鍼術」のラテン語訳として考案した「acupunctura」(ラテン語、acus=針、pungere=刺す)という語は、彼の著作『関節炎論』によりヨーロッパ中に広まった。しかし彼が入手した中王唯一著『銅人腧血鍼灸図経』の図版は「arteriae(動脈)とvenae(静脈)を示す解剖図」になってしまった。Willem ten Rhijne: De Arthritide, 1683年より。
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(4)「東洋」の中の「西洋」

京都の典薬荻野元凱(1737~1806)は、刑死体解剖に立ち会ったり、紅毛人の瀉血法や薬品を研究したりしていた。『鍼灸極秘抄』を著した門下人木村元貞もまた荻野と同じく異色の医師であった。商館長ティチング(Isaak Titsingh, 1745~1812)によってヨーロッパに伝えられた『鍼灸極秘抄』のオランダ語訳は、19世紀初頭にフランスで起こった鍼術ブームの折に、「中日伝統医学の典型」として広く読まれたが、西洋医術に詳しかった木村の著書の情報源や発想の特殊性については訳文で伝えられなかったため、西洋の薬方や瀉血治療の「逆輸入」が起きてしまった。

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図4 (左上) 「ランセッタ」(lancetta)及びカミソリで行う瀉血治療。(右上)オランダ人の秘薬。木村元貞『鍼灸極秘抄』(安永9年刊)より。(下)フランス人医師サランチェール(Jean-Baptiste Sarlandière)著「日本、朝鮮及び中国の人々の主な治療法である鍼灸に関する論文」に見られる訳文。『電気鍼術の覚書』(1725年刊)より。

 

 

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