ルイス・フロイス(Luis Frois :1532-1597)


略年譜
1532ポルトガルの首都リスボンに生まれる。
154816歳イエズス会に入会しインドに向かい、10月ゴアに到着し聖パウロ学院に入学。修練期間中、来日前のシャビエル(Francisco de Xavier)、日本人最初のキリシタンであるアンジローらに出会う。
1550同年末よりインド、マラッカで布教に従事する。
1552ゴアに帰来したシャビエルに日本事情を聞く。
1554パアデレに叙品、イエズス会区長の秘書となり、日本との連絡に従った。
1561ゴアで司祭に叙階される。
15637月に来日。西彼杵半島の横瀬浦において日本に第一歩を印す。12月、(長崎県平戸市)に渡り、シャビエルの同行者であったフェルナンデスから日本語および風習・習慣などを学ぶ。
156411月、平戸を出発し、翌年2月、京都に到着する。京畿の諸侯と親交あり。
1566同年より都の地区長を務める。
1569織田信長と二条城で初対面して以来、信長の寵遇を受けたことは、キリシタン教会発展の基となった。同年信長の前で朝山日乗を論破したことは、キリシタンの地歩を固めた。また、この頃から数々の報告書を海外に発送する。同年夏、岐阜に信長を訪ねる。
1572通訳として布教長カブラルに同行し信長を訪問。
1576オルガンティーノに地区長の職を譲る。
1577兵庫から乗船して豊後に赴き、大友氏の領内で布教に従事する。豊後地方の地区長を務めた。
1581前年に日本巡察師として来日したヴァリニャーノ(Alessandro Valignano)の通訳として上洛.信長に謁し大成功を収め、その間越前地方の布教を開拓した。
1582日本副管区長付司祭として、「日本年報」の執筆を始める。長崎県加津佐町にある岩戸山の洞窟の仏像焼き討ち。
1583秋、「日本史」(Historia de Japao)と題してシャビエル以後の日本布教史の執筆をイエズス会総会長メルクリアンに命じられ、死去する直前までその著述を継続する。
1585「日欧風習対照」と題する小著(Tractatus)を執筆する。
1586副管区長の通訳として大阪城で関白豊臣秀吉に謁見する。
1587秀吉が伴天連追放令を発したので、九州を転々とした。
1590同年から長崎に定住する。
15922月および7月に開催された準管区総会議で初期を務める。10月ヴァリニャーノとともにマカオに赴任し、3年余り秘書を務めた。
1595再び長崎に戻る。
1597二十六聖人の殉教を目撃して報告書を書いた。長崎のイエズス会の修道院において病死。遺骨は長崎に葬られる。



TOPTOP

inserted by FC2 system