西洋人の日本観 II − シーボルトの図書コレクションより
The Western Gaze at Japan - From Philipp Franz von Siebold's Book Collection

奈良県立図書情報館、 2008年3月〜3月30日

シーボルトの生涯
1796年
シーボルト、神聖ローマ帝国の司教領ヴュルツブルクに、数々の学者を輩出している家の長男として生まれる。父が早世したため、母方の叔父に育てられる。
1815年
ヴュルツブルク大学に入学。医学、植物学、地理学を学ぶ。
1820年
国家試験を受け、ハイディングスフェルト村で医者として開業する。
1822年
オランダ領東インド陸軍病院の外科少佐として採用される。
1823年文政6年ジャワ島到着(4月)。6月に来日。
1824年文政7年シーボルト、長崎郊外に私塾兼診療所を設ける。高野長英、二宮敬作、伊東玄朴、戸塚静海など50人以上の門下生がここで西洋医学や自然科学などを学びながらシーボルトの日本研究に協力する。
1826年文政9年シーボルト、オランダ商館長の江戸参府に随行し、数々の蘭学者、大名などと交流する。ケンペル、ツンベリなど研究熱心な以前の商館医と同様にシーボルトは、この旅で資料及び情報の収集を行う。
1827年文政10年楠本滝とシーボルトの娘イネ(1827-1903)誕生。後に日本人初の、女性で西洋医学を学んだ産科医となる。
1828年文政11年帰国する直前、シーボルトの所持品の中に幕府禁制の日本地図などが見つかり、いわゆるシーボルト事件が勃発。高橋景保ほか日本人関係者十数名が厳しく処分された。
1829年文政12年10月22日: シーボルトは国外追放のうえ再渡航禁止の処分を受ける。
1830年
『日本』の分冊出版を開始。1850年まで続く。
1835年
『日本植物誌』の分冊出版を開始。1870年まで続く。
1845年
ヘレーネ・フォン・ガーゲルンと結婚する。
1846年弘化3年長男アレクサンダー(1846-1911)誕生。
1852年嘉永5年次男ハインリッヒ(1852-1908)誕生。
1858年安政5年日蘭通商条約の締結によりシーボルトの追放が解除となる。
1859年安政6年シーボルト、オランダ貿易会社顧問として再来日。長男アレクサンダーと17才の次男ハインリッヒを同伴。
1860年
シーボルト、鳴滝の旧宅を買い戻す。
1861年文久1年シーボルト、対外交渉のための幕府顧問となる。
1862年文久2年後にシーボルトの孫娘の婿となる三瀬諸淵(1839-1877)が、シーボルトのために日本の歴史書を翻訳した罪で逮捕される。
1862年文久2年シーボルトが持参した文献に日本で入手した文献を加え、出島で蔵書目録を出版する。
1863年文久3年シーボルト、オランダの公職を辞して帰国。
1866年慶応2年ドイツ・ミュンヘンで死去、享年70。

 

 
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