西洋人の日本観 II − シーボルトの図書コレクションより
The Western Gaze at Japan - From Philipp Franz von Siebold's Book Collection

奈良県立図書情報館、 2008年3月〜3月30日

『廻国奇観』より


○ 「中国及び日本でよく行われている艾灸」
 1674年バタヴィアの牧師ブショフ( Hermann Buschoff )が足痛風の治療のために Moxa (日本語のモグサより)を推薦してから、とりわけドイツ、オランダやイギリスの医師、医学者が、お灸に高い関心を寄せるようになり、活発な議論を展開していた。出島商館の医師テン・レイネ博士( Willem ten Rhijne, 1647-1700 )と商館長クライヤー( Andreas Cleyer, 1634-1698 )は、その後いくつかの観察を提供したが、ケンペルは初めての現地資料として「灸所鑑」を紹介し、17世紀の最も総合的かつ体系的な解説を発表した。日本では消耗品の一枚摺りにすぎなかった「灸所鑑」の訳文と図版は、ケンペルの『日本誌』の附録としてさらに広く普及し、東洋医学の代表的な資料の一つと見なされるようになった。19世紀初頭に6年間も日本での調査研究を行ったシーボルトは、力作『日本』の中の日本の医学について記した章で1頁半にわたりケンペルの「灸所鑑」を引用している。
『廻国奇観』600・601頁、「灸所鑑」

 

○ 「日本でよく行われている鍼術による疝気治療」
 1674年〜75年出島商館で勤務していたオランダ人医師テン・レイネは2名の通詞の手助けで鍼術の本を概観する際、今日すべての西洋言語に定着している用語「 acupunctura 」 ( acu = 鍼、pungere = 刺す)を考案した。テン・レイネ博士とバタヴィアで出会ったケンペルは、とりわけ「仙気」に用いられた打鍼という日本の独特な治療法を中心に、当時の最も明白な論文をまとめた。しかし、クライヤーであれ、テン・レイネやケンペルであれ、17・18世紀の西洋人は、経絡、気などの東洋医学の基本的な概念の理解には至らなかった。
Blumenbach Index 『廻国奇観』583頁、鍼術の図版

 

○ 「ギンコー」となった銀杏
『廻国奇観』の第5巻(「日本植物誌」)でケンペルは200以上の植物を紹介し、本格的な日本の植物学への道を切り開いた。標本を収集したり、スケッチを取ったりしながら、ケンペルは植物の日本語名を中村_斎の『訓蒙図彙』 (寛文6年刊)から採用した。ケンペルが銀杏(ギンナン)のもう一つの読み方「ギンキョウ」を Ginkgo とつづってしまった話は有名である。しかし、ケンペルの功績を大いに評価した分類学者リンネが、「 Ginkgo 」を学名に選んだので、西洋人はこの木をギンコーと呼ぶようになった( Ginkgo biloba L. )。
Blumenbach Index Blumenbach Index
『廻国奇観』811(銀杏のテキスト)及び813頁(銀杏の図版)

 

 
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