○ 「中国及び日本でよく行われている艾灸」
1674年バタヴィアの牧師ブショフ( Hermann Buschoff )が足痛風の治療のために Moxa (日本語のモグサより)を推薦してから、とりわけドイツ、オランダやイギリスの医師、医学者が、お灸に高い関心を寄せるようになり、活発な議論を展開していた。出島商館の医師テン・レイネ博士( Willem ten Rhijne, 1647-1700 )と商館長クライヤー( Andreas Cleyer, 1634-1698 )は、その後いくつかの観察を提供したが、ケンペルは初めての現地資料として「灸所鑑」を紹介し、17世紀の最も総合的かつ体系的な解説を発表した。日本では消耗品の一枚摺りにすぎなかった「灸所鑑」の訳文と図版は、ケンペルの『日本誌』の附録としてさらに広く普及し、東洋医学の代表的な資料の一つと見なされるようになった。19世紀初頭に6年間も日本での調査研究を行ったシーボルトは、力作『日本』の中の日本の医学について記した章で1頁半にわたりケンペルの「灸所鑑」を引用している。
『廻国奇観』600・601頁、「灸所鑑」
|