ヴォルフガング・ミヒェル

新しいシルク・ロードのために


われわれドイツ人は,もし異国文化の鎖がかくも身近かに押寄せ,何世紀もの威力をもって,われわれに介入することを余儀なくせしめなかったならぱ,アメリカ人のように今なお森のなかで静かに生活しているか,あるいはそこで荒々しく戦って英堆でいるであろう。ローマ人はその教養をギリシャから得てきた。ギリシャ人はそれをアジアとエジプトから,エジプトはアジアから,そして中国はたぶんエジプトから得てきた。このように,鎖は一つの最初の環から進展し,恐らくいつか地球全体に及ぷであろう。(18世紀)
もしヨーロッパ自身がいつかアジア人,アフリカ人により没落するとしても,勝者たちはその勝利を尚ヨーロッパの学問に負うであろう。(20世紀)

これらの言葉は百科辞典には殆んど見当たらないが,比類ない程何世紀もの間非ヨーロッパ諸国に於てもその政冶,学問,宗教にわたり広範に浸透しているひとつの概念の少々疑わしい変形である。歴史現象的にみれぱこの概念は定義可能な諸要素に帰結できるひとつの症侯群のことであるが,それは継続的に顕われ一貫して聯った伝統の流れにより構成されているのではない。むしろこの症候群は交互に変化する組合せの中,幾つかの重点を強調することによりそれらの諸要素をより活発にさせるのである。

重要な諸分野
萌芽期
  • 古代ギリシャ哲学の成果
  • 上記と等価のローマ帝国による文明の開化
  • 国家を支え(後のローマ支配に於ては)同時に国家を超越した一神教キリスト教の当時としての卓越性
成長期及び充実期
  • 宗教的ないし強権政策的な東方教会ピザンチンとの対立抗争
  • 後に同様なイスラムとの対立抗争
  • 「アジア民族」及び「トルコ人」との戦い伸長期
  • 世界の合理化と救済の希望を現世に移す事により実現した、硬直しつつあった宗教的教条主義の克服
  • これと関連した商業、学問、技術の順調な発展

その精神的根源を古代ギリシャに有し,シーザーの侵略遠征により準備され,フランケン王国で始めて形勢を整えたヨーロッパは地理二分割,概念上の分離に於て象 徴された東西の,東に対する西洋(=陽の沈む国)としての自覚を持つに至る。その際留意すべきは中近東(=陽の出る国)が,尊敬するには値するが不断に衰微しつつある相対者としての自己を提示した事である。一方,例えぱ中国は初期の外国との往来,海外貿易の時代を経た後,重大な結果をもたらした決定を行い,防御的な孤立化を促進した万里の長城を築いたため,極東に於ける多少とも同格の巨大国として経験されることはなかった。

その昔技術的に唯一無二であった鄭和(1413ミl433)の艦隊に遭遇したならぱ,そのボルトガル人の「発見者」は一体如何なる驚きをもってこの事実を王に報告したで あろうか?しかし今や鎖国によりルネッサンス以来の世界征服や搾取は容易に実行きれ,その容易さがヨーロッパの優越感を測り知れない程急激に昂めたのである。二 次的な要素として,ヨーロッパの工業生産様式や物資供給システムの地理的領域が二十世紀に至るまで絶えず拡大され続けている事が挙げられる。極東諸邦の歴史の深 さや文化的功績は認めつつも,それは黎明()として又は人類の幼児期としてであり,古代ギリシャ,ローマ(昼又は青年期)そして西洋()即ち壮年期の下に位置づけられた(ヘルダー,ヘーゲルの例)。集中的に築かれた植民地帝国の崩壊,アメリカの台頭及び第三世界の解放は欧州中心主義に致命傷を与えたことは想像に難くないし,実際トインビーのような二,三の歴史家は懐疑的又は悲観的(シュペングラー)になった。しかし事実はヨーロッパ中心主義の衰退が確認できた位でそれさえ部分的にはまだ一般大衆の意識に到達してはいない。

  • 今日でさえ非ヨーロッパ社会やその構造,伝統は僅かの教科書や教案に登場するのみである。
  • 非ヨーロッパ諸国の歴史はその「発見」と共に始まるか又はヨーロッパ的視点に基いている。何故なら「欧州の外に世界史は無い」のである((!)歿)。
  • 通例国賓等訪間の際のみそれの諸邦に関して比較的詳しい報告をするという現在のマス・メディアによる情報不足。
  • 今日でも少くとも文化的,精神的使命者意識が政治的にも 「自分たちの子供であるアメリカに対してさえ 現われる」(特にフランス)。

この様に,文化的側面で保持されていく生活習憤や思考方法に於るヨーロッパ中心主義に対峠すべきものを非ヨーロッパ諸国は殆んどの場合持たない。それどころか この思想「ヨーロッパ到来物崇拝主義()」に支えられ一見無害そうなスポーツ,モード音楽等の諸現象から,憲法の作成,教育制度,宗教等の分野の極度に徹底したといえる適用の仕方に至るまで絶えず実証されている。これらの国々は全てがアフリカ諸国の様に更に加えて精神的,文化的に自己を売ってしまったわけではなかった。しかし永年鎖国状態にあった日本のような社会ではそれ故一層孜々汲々としてその遅れを取り戻そうとしたため,国立の外国人のための旅行案内所ではおきまりの寺院ミ神社ミ芸者パーティというディズニィランド風の遊覧旅行を計画し,西洋からの旅行者にヨーロッパ自身との出逢いで失望を感じさせないように大変な努力を払わねぱならない程である。もちろん国粋主義に将来の展望があるとはいえないだろう。しかしひとつの社会は幾多の絆により過去の深淵に結ぱれているのであり,そこから規定されているのである。これらの絆を恣意的に切断する者は西洋の流れに押し流されてしまうだろう。数少ない文化圏のみがルネッサンス時代を経験し,それとの関連で同時に ミ この場合はコペルニクス的転回である ミ ヨーロッパの自己理解を動揺させる事ができるのだ。ちょうど最近のアラプ諸国が示したように。だがヨーロッバは石油ショック以上のものを必要とする。開放的性格と批判が,ヨーロッパ人としての私が例えぱ日本人から期待している性質である:即ちより多くの交流を可能とする開放性,それがあり初めて対話が有意義なものとなる批判的評価,そして長所も欠点も含めた率直なインフォメィションになる止む事のない種々な面での刺激。いったい日本は如何なるショックをヨーロッパに与えることができるのであろうか?

(ドイツ語科外人教師)

 

 

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