『日本医史学雑誌』第39巻、第3号、397〜399頁、1993年9月。

ヴォルフガング・ミヒェル (Wolfgang MICHEL)

Takeo NAGAYO: History of Japanese Medicine in the Edo Era - Its social and cultural backgrounds


欧米の言語による日本医学史についての著作は残念ながらそれほど多くはない。この「情報の貧困さ」のためであろうか。たとえば明治四十四年文部大臣官房文書課発行の富士川遊著「Geschichte der Medizin in Japan」が1976年になってもドイツの出版社によりそのまま再出版されている。もちろん、グローバルな観点から人類の医学とその歴史を描写している著作の中には、日本に関して一章を割いているものもある。たとえば 「Histoire de la Medicine, de la Pharmacie, de l’Art Dentaire et de l’Art  Veterinaire」 (パリ、1978年) はその代表的なものである。しかし、このような概括的な著作の場合、その範囲、目標、ページ数などに制約があって、 日本の紹介は極めて一般的、概略的なものに留まっている。日本のみに焦点を合わせ、科学史の一環として日本医学の歴史的発展を追及しているSugimoto,Swaine共著「Science and Culture in Traditional Japan」(東京、1989年)は最近出版された力作であるが、かなりの専門的知識を必要とし、恐らく知日派の主要な参考書の一つになるであろう。

日本医学史に興味を抱いている者は、その殆どが日本人同僚と共同研究や学習を進めている外国人医師や医学生であって、大ていは日本語力が十分でなく、その上医史学の文献を捜したり、研究したりする時間も不足している。これらの人々にまず必要なのは、信頼できる概説書である。また、日本人の方でも、特殊な現象や概念が多く現われる祖国の医学史を外国人に的確な英語で紹介するのに、しばしば困難を覚えているようである。この双方の要望に添うべく、 長与健夫氏が昨年大変有用な書を著された。

本書は江戸時代への簡単な入門部に始まり、引続き江戸時代以前の医学に関しては殆ど16世紀、つまりヨーロッパ人が日本に上陸し、キリスト教とイベリア半島の医学をもたらした時代に限って論じている。本論の江戸時代は3部に分かれてあり、まず第1部は17世紀における中国や南蛮医学から紅毛医学への移行 、第2部は18世紀の紅毛医学の受容と普及、 そして第3部では19世紀の円熟期及び近代医学への幕開け取り上げている。次いで江戸時代を通じての医学や関連分野に関する概説 が続く。最後には 参考文献目録、人名や書名等 の索引 が付けられている。

筆者は近世だけを扱っているが、本書の読者層を考えると、それは賢明な選択であったように思われる。明治前後に見られる日本医学の飛躍的な進歩の踏み台は江戸時代に築かれたのである。江戸時代は鎖国という興味の尽きない 時代であると同時に、日本が「蘭学」の一環として西洋医学を積極的に受け入れ、ヨーロッパの政治、経済、及び学問上の動きを常に把握しようとした時代でもある。この時代についていくらかでも知識が増せば、現代日本への理解はより容易になり、さらに深まることであろう。本書の著者が当時の社会的、文化的な背景を重んじたのは決して偶然ではない。

本書においては、上記のように日本医学のそれぞれの発展段階に現われる主な人物、著作、文化的、社会的特徴などについては、分かりやすく解説されている。中医学や儒教のように、外国人には予備知識が欠けていると思われる箇所についてはもう少し詳細な説明が望ましいであろう。さらに欲を言えば、本書の中に出てくる主な事項、人物などに注釈を付け、巻末に関連文献を挙げておけば、もっと便利であろう。また、参考文献目録において日本語の論文名まで英訳されているが、誤解を避けるため、原文は日本語であることを示す何らかの印を次の版では是非とも付けて欲しい。

このようなささいな点は別として、本書は外国人の、近代日本医学史への取り組みをかなり容易にするもので、多くの外国の方々に一読をお勧めしたい。

[名古屋大学出版協会, 名古屋1991年, A5 判、210頁]



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