Wolfgang Michel: "Sekai mura he yokoso [Welcome to the Global Village]. In: Genbun Forum, No. , 1996, pp. - .(「言文フォーラム」第号、1996年)


ヴォルフガング・ミヒェル (Wolfgang MICHEL)

「世界村」へようこそ


私の故郷フランクフルトでは、幼稚園の頃は外国人を見かける度に目をみはっていた(そのくらい数が少なく珍しかった)が、現在は住民の29%が外国人という状況になった。郊外にある我々の校区のギムナジウムでは中休みになると10以上もの言語が飛び交っており、その中にはトルコ語、中国語、ベトナム語、タミル語、ウルドゥー語などが含まれている。都心や中央駅では一般の西洋の新聞に混じって、かつてはエキゾチックな言語と不思議がられたアラビア語、日本語(衛星版)などのものも並んでいる。地下鉄に乗っていると、どこにいるのかさえ忘れそうなときもある。ドイツはこの30年で全く別の国になってしまったといって間違いないだろう。

しかしこれはドイツだけに限ったことではない。私はこの春、江戸時代に日本を旅行したドイツ人の手稿を調べるため、大英図書館を訪れた。閲覧室での共通語はさまざまなお国なまりのある英語であったが、昼食時のカフェテリアでは複数の言語が飛び交い、バビロンさながらの混乱状態であった。夜テレビを観ていると9時からBBC2でNHKのニュースが日本語で流れ、引き続いて日本の時代劇も放送されていた。ロンドン滞在の後数日間をオランダの友人の家で過ごしたが、法学部の2年生である彼の娘は、母語のオランダ語の他に、英語とドイツ語は申し分なく、フランス語は巧みに、日本語も多少話すことができる。だからといって彼女は言語習得のみに精魂を使い果たしているわけでは決してなく、行動力や好奇心に富み、将来への希望に溢れていた。帰りの飛行機では韓国人の修道女と同席したが、彼女は実に素晴らしいフランス語を話した。後ろの席にはドイツ語ができる中国人と韓国語をマスターしているドイツ人がいた。現代はたしかに、多くの人が生まれた国から一歩も出ることなく一生を終える時代ではなくなった。もしも私が大学に入った60年代当時に、1996年のこの世界と、日本やヨーロッパでの私の経験について話す人がいたら、私は「そんなことあるはずがない」と笑い飛ばしていただろうが、今日、20歳の九大生が、自分は10年後か20年後に日本で日本の会社で働いていると信じているとしたら、彼は60年代の私よりも空想力に乏しいといわざるをえない。国際市場や近隣遠方の国々との協力関係に依存している日本が、これからこの国際化の波から逃れられるとはとても思えない。さらにこれまでとは異なり、新たなネットワークによる情報化はかつてない勢いで加速している。国内に住もうと外国に住もうと、常に世界を視野に入れなければならない時代はすでに来ているのである。政治、経済や学問の分野ではインターネットの発達を無視することはますます困難になりつつある。このメディアをめぐる可能性や問題点については若干述べてきた(RADIX、第9号)。ここでは語学力という面についてのみ立ち入ってみることにする。

日本では、21世紀には英語さえ出来れば十分だと言う意見が少なくない。たしかに英語は世界の最も重要な共通語になっており、徹底的に身につけるべきである。しかし、アジアやアフリカ、いやヨーロッパやアメリカ合衆国内でさえ容易に確認できるように、実際には英語だけでは進められないことが多い。インターネットにおいてもこの事情は観察できる。地球が一つになりつつある中で、自分の本来の言語文化を主張、再発見する動きは益々活発になってきている。かつてインターネットは、研究者や技術者がほとんど英語だけで通じ合えるメディアだったが、 World Wide Webが導入され、一般に普及してくると言語は多様化した。一昨年まではWWWの利用に必要なブラウザーは、たとえばウムラウト、アクセント記号、アルファベット以外の文字を処理することができなかったが、今日ではほとんどのヨーロッパの言語が問題なく処理され、韓国語やギリシア語、トルコ語、中国語(繁体字と簡体字)、キリル文字も使用できるようになった。

世界中のホームページをサーフィンするとすぐにわかるが、ほとんどの図書館や企業、データバンク、政府機関、大学などが「看板」には英語を用いているとはいえ、さらに詳細な情報を得ようとすると、それぞれの国の言葉が必要になる。この情報の海で目的地への確実な針路を取ろうとするならば、外国語は学び過ぎるということはない。

今日ではまた海外の新聞を買うために、フランクフルトのキオスクへ足を運ぶ必要もなくなった。インターネットを利用すれば部屋にいながら世界中の雑誌や新聞の主要な記事を日常的に見ることができる。また新華社などの通信社やCNNなどの放送局からの情報ページもある。私自身も「GERMAN NEWS」に登録しており、毎日1度、無料でドイツからの短信をeメールで送ってくれる。

世界中の人々が集まる広場ともいえるUSENETでは、インターネット利用者が何千というテーマについて討論し、煽動し、意見を交換している。スペイン語、中国語、日本語、ドイツ語、フランス語、タイ語等々英語以外の言語を使うニュースグループも増え続けている。ここでは読む能力だけでなく、書く能力も要求される。

これまでのメディアと同様に、インターネットの「情報」の背後には常に一定の目的や関心が存在することは忘れてはならない。かつてない速さで世界中を飛び回っている情報を操作するのは、多くの組織、団体、統治機関にとって耐え難い誘惑だろうということは容易に想像できる。しかし同時にこのような情報操作を発見する可能性も新たに開かれている。これまで以上に現在は様々な国の新聞や雑誌を利用することができるし、地域のグループと接触し、世界中のインターネット利用者に忠告や援助を求めることもできるようになった。いわゆる客観的な情報は期待できないにしても、情報源が多ければ、事件や問題の核心、個々の情報の性質や構造がこれまでよりも明確になる。ただし、それぞれの言葉の理解が前提となるのはいうまでもない。

 

 

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