〔版画左上説明〕オランダ人来朝のはじめは、慶長七年泉州堺の港にはじめて入船、内大臣徳川家康の時代だそうです。平戸へ入港したのは慶長14年(1609)、徳川秀忠の時代に、お許しを頂いている。平戸は松浦鎮信の在任中で、当時の長崎奉行は長谷川左兵衛であった。
〔版画左下説明〕寛永十八年(1641)、長崎奉行馬場三郎左衛門及び搖_平右衛門(正しくは柘植平右衛門)の在任中、オランダ人を平戸から移し、出島へ入れた。家賃銀一年間に、銀五十五貫目にきまり、オランダ人から年々納入する。出島が築かれてから安永九年(一七八〇)まで百四十五年になる。 |
〔版画右下説明〕出島のはじまりは寛永十三年(1636)長崎奉行榊原飛騨之守及び馬場三郎左衛門在任中南蛮人が長崎の町家にいることを禁じ、出島を町人二十五人に築かせるように命ぜられ、家、蔵などを作り南蛮人たちを住まわせることにされた。寛永十三年から三カ年間、出島で南蛮人が商売をしたが、その翌年(寛永十六年)からは日本に南蛮人の渡来することを停止し、十六、十七両年は出島は空地であった。 |