東西の古医書に見られる病と治療 − 附属図書館の貴重書コレクションより



 4  「はら」と医学

 

平安中期の『倭名類聚鈔』などの古い辞書には、「きも」(肝臓)、「よこし」(脾臓)、「ふくふくし」(肺)、「むらと」(腎臓)、「はらわた」(大腸)、「ほそわた」(小腸)、「くそわた」(胃)、「ゆばりふくろ」(膀胱)のような「大和言葉」が見られるが、中国医学の普及につれて臓器の古い名称は次第に失われてしまった。江戸期の日本人が体内について話すとき、心臓、肺腑などのような漢語を避けられなくなった。しかし、身体観に目を向けると、腹部を重要視する古来の発想は相変わらず残っていたようだ。今日でも用いられる言い回しにも「はら」を思考と感情の場とする見方がうかがえる。

人の腹を読む(=人の心を読む)
口と腹が違う(=言うことと本心が異なる)
腹を割って話す(=隠し事をしない)
腹の中は(=心の中では)
腹が黒い(=心に悪だくみがある)

西洋で「 Harakiri」として知られている切腹も同様の発想から生まれたようだ。

中国の伝統医学の四診(望診、聞診、問診、切診)には身体の特定の部位に触れて行う診断法が含まれているが、日本では特に「腹診」を重視する傾向があった。

「一気留滞説」を出張した後藤良山(1659-1733)の腹診法。
『良山腹診図説』、出版地不明、出版者不明、出版年不明。
〔九州大学附属図書館医学分館蔵〕

 

 

  「五雲子腹診法」、書写地不明、書写者不明、書写年不明。
〔九州大学附属図書館医学分館蔵〕

 

 

瀬丘長圭撰「診極図説」、書写地不明、書写者不明、書写年不明。
「如簡堂図書記」の印あり。
〔九州大学附属図書館医学分館蔵〕

 

 

和田東郭著『腹診録』 [発行地不明] 、[発行年不明]
〔九州大学附属図書館医学分館蔵〕

 

治療においても腹部にこだわったのは、16世紀後半いわゆる「打鍼法」を考案した僧侶夢分である。夢分は従来の経絡系統を無視し、腹を診断や治療の場にした(『鍼道秘訣集』1685年刊)。腹の表面は体内の五臓六腑の「マップ」となり、それらの「虚実」などの状況は触診で突きとめられた。夢分は中国古典の『難経』の16巻を参考にしていたかも知れないが、彼の病理説及び療法は、明らかに禅思想の影響も受けている。夢分の打鍼法はその息子とされる御園意斎(1557ミ1616)によってさらに広められた。

夢分流臓腑の図。
『鍼道秘訣集』2巻、京都、加賀屋卯兵衛、貞享2(1685)年)
〔九州大学附属図書館医学分館蔵〕

 

 

興味深いことに、伝統医学が強い逆風にさらされた明治時代、日本の腹診法は逆に清や中華民国の学者・医師の注目を集め評価され、和書の復刻版及び漢訳本として受容された。

 



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