東西の古医書に見られる病と治療 − 附属図書館の貴重書コレクションより
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7 江戸の健康志向
「健康ブーム」という言葉の通り、雑誌やテレビなどでは健康に関する特集が次々と編まれ、書店には多くの健康関連書が並んでいる。しかし、健康への関心は今に始まったことではない。書物の出版が本格化した江戸時代にも、健康に関する多くの医学書が刊行された。
本学附属図書館の医学分館に所蔵される古医書には、東西の専門的な医学書のほかに、貝原益軒の『養生訓』(正徳3(1713)年刊)をはじめ、江戸時代の健康志向を窺わせる板本が多く含まれる。『医道重宝記』(本郷正豊著、宝永6(1709)年刊)、『医学早合点』(源斯民編、安永7(1778)年刊)といった多彩な入門書や、『安産幸運録』(賀茂熊斎著、天保15(1844)年刊)のように「安産」など特定の事柄を扱うものもある。本書には、出生に至るまでの胎児の様子や、命名に際しての文字の吉凶、さらには産湯や誕生餅などについても図を交えて紹介される。
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『安産幸運録』
〔九州大学附属図書館蔵〕
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『食用簡便』
〔九州大学附属図書館蔵〕
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生活に密着した、いわば家庭医学とも称すべき書物も多い。『食用簡便』(蘆桂洲著、貞享4(1687)年序刊)は、食物の医学的効能とその調理法を記したものである。「土筆」(ツクヅクシ)の項には、
風気ヲ去ル。諸病ニ禁ム。
浸 洗浄メ根ヲ去リ醤油ニ浸シ用ユ。和ヘ食スルモ同ジ。
とあり、また「蒲公英」(タンポポ)については、
滞気ヲ散ジ食毒ヲ解ス。熱ヲ去リ悪腫ヲ治ス。ナ
煮 洗浄メ味噌汁ヲ以テ煮用ユ。
と紹介される。ツクシは「花ざかりとはではすぎな君をのみまつに心をつくづくしかな」(『挙白集』)の歌にもあるように、古来ツクヅクシと呼ばれた。
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『医門俗説弁』
〔九州大学附属図書館蔵〕
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『食品国歌』
〔九州大学附属図書館蔵〕
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『医門俗説弁』(奈良宗哲著、享保14(1729)年刊)は、当時流布していた健康に関する俗説を挙げ、その一つ一つについて検証するという体裁をとる。そこで紹介される俗説は、例えば、
食物の中に髪有をしらずして腹中に入り病となるの説
冷酒は薬にして温熱の酒は毒なり
生年の烏兎の肉を食ざる説
麺類を食して後、酒を飲ざれば虫となると云説
医三代に非ざれば其薬を服せざる説
夜生姜を食ざる説
といったもので、内容は多岐にわたる。検証の中には、「此説非なり」と否定するものもあれば、「此説是なり」として俗説をそのままに肯定するものもあり、興味深い。
『食品国歌』(大津賀仲安著、天明7(1787)年刊)は、食品に関する留意すべき点を五・七・五・七・七の和歌形式、すなわち「国歌(やまとうた)」の形式で表す。巻頭には「水部」(みづのぶ)として
井泉水は新吸なるを用ゆべし泥土あるは実食ふべからず
白湯こそは百沸たるに能ありて半熟なるは害ぞ有べし
食塩はよく心腎肌骨養へど消渇の人あしきとぞ知れ
の3首が記され、以下、
生姜よく風寒をさり痰を治し胃の気をひらき諸毒解す也
胡葱はうち温めて気を下し穀を消じて五臓益あり
といった生活の知恵とも言うべき内容を詠み込んだ和歌が並ぶ。
また、『遠西医方名物考』(宇田川榛斎訳・宇田川榕庵補校、文政5(1822)年刊)では、西洋における医学関連の「名物」が多数紹介される。その中には「麦酒」(ビール)や「度禄布」(ドロップ)といった品々も見え、例えば「麦酒」については、
麦酒ハ酒ノ一種ニシテ、西洋諸国日用ノ飲料トス。葡萄ヲ産セザル地ハ専ラ是ヲ用フ。
と説明されている。ビールが日本で飲まれ始めた頃の様子については、『吾輩は猫である』の中で苦沙弥(くしゃみ)先生が、「俺はジヤムは毎日舐めるが、ビールのやうな苦いものは飲んだ事がない」と語るのが有名だが、それに80年余り先行する本書では、
清涼滋潤シ渇ヲ止メ鬱滞ヲ散ジ精神ヲ爽快シ百体ヲ栄養シ水穀ノ精気ヲシテ満肢体ニ布化セシメ又鎮痛ノ効アリ。
とその効能が詳しく説かれ、一方で「但シ、過飲スレバ酩酊ス」との警告も記されている。